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115件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 四万十市(中村市) 火災

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昭和2年の火災

昭和2年(1927)3月14日、築地南側数軒焼失、消防団員1人が殉職した。 続きを読む

昭和2年の火災

昭和2年(1927)3月14日、築地南側数軒焼失、消防団員1人が殉職した。(「百笑宮崎」による) 続きを読む

昭和2年1月の大火

昭和2年(1927)1月31日夕方、下田青砂島から出火し、当初は無風であったがやがて西風強くなり、東部に延焼し、青砂島の全家屋約350戸のうち70~100軒の住家を焼いた。原因は灯明の火とも伝えられている。 続きを読む

大正10年の大火

大正10年(1921)4月2日午後9時頃、新町から出火し、小暴風雨のような大雨の中でも東風強く、当時の京町区の一部から中ノ丁までの両側の大きな家約30余戸を全焼した。 続きを読む

大正10年の火災

大正10年(1921)4月2日午後9時頃、新町西側中程から出火、雨天ながら風が強く火勢猛烈で京町北端から中ノ丁市の角までの両側約30戸を全焼した。 続きを読む

大正10年の火災

大正10年(1921)4月2日午後9時頃、新町西側中程から出火、雨天ながら風が強く火勢猛烈で京町北端から中ノ丁市の角までの両側約30戸を全焼した。(「百笑宮崎」による) 続きを読む

大正8年の大火

大正8年(1919)5月3日午前8時頃、下田町から出火し、西の強風のため下田小学校が全焼し、さらに飛び火して130余戸を焼き尽くして、正午頃鎮火した。 続きを読む

大正7年の火災

大正7年(1918)5月20日午後5時過ぎ、南京町(現在の一條通)から出火し、西風に火勢ものすごく、その上防火用水の不自由により火勢を大きく素ばかりで、みるみる10数戸に延焼。30分後には防水用水が全く絶え、その上電柱の倒壊で北側に延焼し、また新町の藁屋に飛び... 続きを読む

大正7年の火災

大正7年(1918)5月20日午後5時過ぎ、南京町(現在の一條通り)から出火し、西風により火勢ものすごく近隣に延焼した。強風と防水の不自由により、間もなく10数戸を焼失し、30分後には防水が全く絶え、その上電柱の倒壊で街路の北側に延焼し、また新町の藁屋に飛び火... 続きを読む

大正7年の火災

大正7年(1918)5月20日17時過ぎ、南京町より出火、東西約3丁、南北2丁を焼き、19時50分鎮火した。80戸焼失。(「中村町史」による) 続きを読む

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