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条件:高知県 四万十市(中村市)

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寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月6日、大洪水。男女151人死、81,300石余損毛。/「大海集」に曰く。寛文丙牛七月七、八両日大風雨、大川筋小谷つつぬけ(山崩)埋まり、大川筋家皆々流失、人馬流死致す。中村下も町大堤防(岩崎堤防)切れ、家一軒も残らず、町は川原に成る。死... 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月6日、大洪水、国中大損毛、男女151人死、81,300石余損毛。/「大海集」には「寛文六丙午七月七、八日両日大風水、大川筋小谷つへぬけ(山崩)埋り、大川筋家皆々流失、人馬流死致す。(大川筋とは四万十川筋のことならん)中村下モ町大堤(岩崎... 続きを読む

寛文6年の台風

寛文6年(1666)7月7日、8日、四万十川では水害、山崩れが起こった。「中村町風水害史」には「寛文六年(一六六六年)七月七、八両日大風水、大川筋小谷つへぬけ(山崩れ)埋り、大川筋家皆々流失、人馬流死致す。中村下モ町大堤(岩崎堤防)切れ、家一軒も不残。町は川原... 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月7日、8日、大風水により、中村下の町大堤切れ、家一軒も残らず、町は川原となり、死人夥しかった。(「大海集」による) 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)7月7日、8日、洪水により、四万十川の岩崎堤防が再び切れて、中村町は磧原と化し、中筋川沿線のような川窪の村はほとんど全滅して荒涼たる沼地となり、実に悲惨なるものであったという。 続きを読む

寛文6年の水害

寛文6年(1666)7月8日より3日間、中筋で水害。 続きを読む

寛文6年の洪水

寛文6年(1666)、土佐中村の地、8月4日、11日、15日、洪水により、田畑3万石の水害を蒙り、男10人、女27人、牛馬579匹溺死し、民屋2,037軒、舟17艘流亡。(「徳川実記」による)/3日、4日、5日、両3日、土佐国また甚雨強風により、中村は1丈余り... 続きを読む

寛文6年の水害

寛文6年(1666)8月4日、四万十川は大水害に見舞われた。(「徳川実記」による)「田畑三万石水害を被り男一〇女二七人、牛馬五七九匹溺死し、民屋二〇三七軒、舟一七流亡」という記述がある。 続きを読む

延宝6年の風雨

延宝6年(1678)9月3日、土佐高知、大風雨にて、支封山内大膳亮豊明が所領(中村)をかけて民屋3,095棟頽廃し、堤防800間、舟20艘損ず。(「徳川実紀」による) ※月日は新暦 続きを読む

延宝6年の風雨

延宝6年(1678)7月18日、大風雨により、中村で民屋3,095戸損壊、堤防決壊800間、船損壊20隻。(「高知県災害異誌」による) 続きを読む

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