検索結果

66件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 香美市(土佐山田町)

年代順で並び替える : |

明治27年の干ばつ

明治27年(1894)、この年は60年来の旱害と言われた。新改川下流の植田・久次地区は上流に分水を要請したが。上流も余裕がなく、甫喜峯疏水計画の最中であったが、これを拒否した。このため、植田・久次地区はツイノイ堰を襲い、上流側と乱闘となった。後免署から警官50... 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)、台風により、仁淀川では多数の死者を出したが、物部川では西岸竹が鼻の堤防が約100間決壊した。また、8月28日の台風では、高知城の天守閣のシャチや測候所の風力計が吹き飛ばされるなどの強風が吹き、「山田文化小史」には「電火起り火竜巻くこと空... 続きを読む

大正4年の洪水

image

大正4年(1915)6月19日から25日まで雨が降り止まず、24日には物部川中上流で降水量が100ミリを越えたため、洪水が山田堰西部の主要棒を一掃し、堰裏から堤防まで61間半壊したという。(「立田村誌」による)この洪水で、山田堰の井堰が全部破壊されたので、土工... 続きを読む

大正6年~7年の干ばつ

大正6年(1917)11月、干ばつにより、物部川の水が著しく減少し、その後も翌年1月にかけて少雨が続いたため、三島村では井戸水が涸渇し、全戸が飲み水にも困る状態になった。このため、山田堰土工組合では、山田堰の砂吐きを切り落とし分水して、村民の困窮を救った。 続きを読む

大正14年の集中豪雨

image

大正14年(1925)9月14日午後5時頃から9時頃までの集中豪雨による洪水で、佐岡、新改、繁藤に大きな被害が出た。佐岡地区では県道山田大栃線に架けられた全部の橋が流失、谷川沿いの田畑、堤防、用水路の決壊・流失は数知れず。平山地区では東川の被害が最も大きく、家... 続きを読む

昭和9年の室戸台風

昭和9年(1934)9月21日、室戸台風による県下の被害は未曾有であった。土佐山田町でも電線、道路、家屋の倒壊、人的被害も大きかったが、具体的な資料はない。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、南海大地震が発生した。土佐山田町でも道路に亀裂、家屋に損壊が各地で起こり、泉や井戸水の水涸れ等の減少がしばらく続いた。 続きを読む

昭和23年の集中豪雨

昭和23年(1948)7月5日未明から夕方までの集中豪雨により、香長平野、特に香宗川、片地川の増水がひどく、神母ノ木地区で多数の人家浸水、山田町でも床上・床下浸水309戸であった。香北地区の道路の損壊甚だしく、国バスの不通は一ヶ月に及んだ。(「高知新聞」による... 続きを読む

昭和28年1月の火災

昭和28年(1953)1月15日、片地村神母木の工場が全焼し、工場4棟、寄宿舎13棟、機械約100台焼失、損害約5,000万円。(高知新聞による) 続きを読む

昭和29年の台風12号

image

昭和29年(1954)9月13日午後9時から14日午前3時までの間に、台風12号による集中豪雨により物部川の水位は6m余大増水し、香我美橋は橋桁上まで浸水し、その上、上流からの流材のため、山田堰の水叩き部36箇所並びに水越の大部分が決壊、流失した。さらに、東岸... 続きを読む

1 2 3 4 5 6 7