検索結果

3件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 上板町 渇水

年代順で並び替える : |

寛正元年の干ばつ

寛正元年(1460)、旱害、風水害などの連続により、諸国飢饉となる。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から3ヶ月間、大干ばつが続いた。稲は枯れ、収穫皆無の所が多かった。数年来の不作続きの上、この干ばつにより、百姓は窮乏を極め、拝借米を歎願して一時をしのいだが、飢饉は翌8年も続いた。「明和の飢饉」という。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、... 続きを読む

天保3年~8年の干ばつ・風水害・長雨

天保3年(1832)から8年(1837)にかけて、干ばつ、風水害、長雨等が続き、諸国大飢饉となった。阿波国でも窮乏は甚だしく、木の葉を摘み、木の実を拾い、曼珠沙華の根を掘って食い、草の根を噛んで命をつないだというが、餓死者は村にあふれた。「天保の飢饉」という。... 続きを読む