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114件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市 風水害

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天明5年の風雨

天明5年(1785)6月26日及び7月11日、大風雨、川内一円大水入。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

天明5年の洪水

天明5年(1785)7月11日昼夜大雨になり、翌12日には各所で堤が切れ、被害が起きた。 続きを読む

天明7年の洪水

天明7年(1787)4月25日、26日、吉野川大水、川内水入、五穀不塾のため飢饉続く。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

寛政3年秋の洪水

寛政3年(1791)秋、鮎喰川堤が洪水により大破した。(竹瀬村庄屋木内家文書による) 続きを読む

寛政6年の洪水

寛政6年(1794)4月、大水。(「川内村史」による) 続きを読む

寛政6年の洪水

寛政6年(1794)4月、大水。(「川内村史」による) 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつが続いたため、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給した。 続きを読む

天保14年の洪水

天保14年(1843)7月7日朝より翌朝まで大雨が降り、勝浦郡では洪水により流家何百軒か数知れず、死人は田野浦村だけでも50人ほどもいたようである。徳島富田の家中でも座上5、6尺に達し、死人が出たようである。 続きを読む

天保14年の七夕水

天保14年(1843)7月1日以来の大雨によって、7日には吉野川をはじめ各河川が氾濫した。これを卯の七夕水という。特に勝浦川流域の被害は大きかったようである。宮井村庄屋・平岡邦平の記録によると、農家54県が流失し、地高4,300石が被害を受け、そのうち1,45... 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月8日~11日、酉の水(別名「阿呆水」)により、徳島城下が冠水した。(松下師一) 続きを読む

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