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47件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市(那賀川町)

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宝永4年の地震

宝永4年(1707)、大地震により、海部郡では津波が2丈4尺に達し大荒れであったが、平島村でも海岸沿いでは多少の被害が免れなかったのではと思う。 続きを読む

寛延元年の火災

寛延元年(1748)11月23日寅刻、那賀郡中島浦より出火、家数150軒、同郡赤池村34軒焼失。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

寛延元年の火災

寛延元年(1748)11月23日寅刻、那賀郡中島浦より出火、家数150軒、同郡赤池村34軒焼失。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

寛延元年の火災

寛延元年(1748)11月23日亥刻(午後10時頃)、那賀郡中島浦より出火し、家数150軒、同郡赤池村で家数34軒を焼失した。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

寛延元年の火災

寛延元年(1748)11月23日寅刻、那賀郡中島浦より出火、家数150軒、同郡赤池村34軒焼失。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

寛延元年の火災

寛延元年(1748)11月23日、那賀郡中島浦で火災、184戸焼亡。 続きを読む

天保13年の火災

天保13年(1842)11月3日、名西郡中島浦で火事、18戸焼亡。(「「阿陽市街実記」による) 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)霜月4日を始めとして、大地震が起こった。江野島の古老(当時7歳)が津波に備えて中庄の観音山に避難したことなどの体験談が記されている。八幡、黒地、色ヶ島、今津浦など本村内の村浦は大抵中庄の観音山に避難したというのは古老の話で一致している。 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日午後4時から地震が始まり、翌5日は最も激烈で、人々は家にいたたまれず、籔に逃げるもの、庭前に小屋をかけてわらを敷いて露宿するものもあった。また、海辺の中島上福井や工地では4日夕の大地震に引き続いて、津波が5、6度来た。翌5日午後4... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が発生し、津波が起こった。このため、那賀川河口の中島港は大破し、辰巳新田では60cmの地割れができたところもあり、黒津地の南新田が一面海になったと言われている。この時、今津の江野島大手海岸の松原が防潮堤の効果を発揮したと... 続きを読む

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