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18件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市 渇水

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享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、大干ばつ。 続きを読む

享保10年の干ばつ

享保10年(1725)、大干ばつ、蝗害。 続きを読む

文政4年の干ばつ

文政4年(1821)、大干ばつ、83日続く。 続きを読む

文政5年の干ばつ

文政5年(1822)、大干ばつ。農作物の検見なし。 続きを読む

嘉永5年の干ばつ

嘉永5年(1852)6月、干ばつが42日間続き、畑作物は皆無となった。 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)6月まで、大干ばつが52日続いた。 続きを読む

安政2年の干ばつ

安政2年(1855)6月から7月にかけて、大干ばつ。 続きを読む

明治27年の水争い

明治27年(1894)5月から8月まで雨量が少なく、夏季に記録的な高温が続いたため、各地で水争いが生じた。那賀川北岸では、大井手用水の渇水がひどく、7月19日に千余名が舟路を開削すると称し、延長2,400mの川ざらえを行い、南岸の堰を掘り切った。このため、20... 続きを読む

明治27年の水争い

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明治27年(1894)、大干ばつのため、7月19日午前1時頃、竹原堰の下流にある大井手堰の組合員千人余が舟路の浚渫という名目で、竹原堰を縦断して400間にわたり幅5間、深さ3尺の水路を作り、竹原堰の水を横取りした。このため、翌20日には大井手堰と竹原堰の両組合... 続きを読む

明治27年7月の水争い

明治27年(1894)5月から8月にかけて高温が続き、降らなかったため、大井手用水が渇水となった。そのため、7月19日に十余名が舟路を開削すると称して延長2,400mの川ざらえを行い、南岸の堰を掘り切った。翌20日には南岸から600名余りの農民等が投石し合い負... 続きを読む

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