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80件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市(重信町) 風水害

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享保17年の洪水

享保17年(1732)5月20日より、天候不順となり霖雨続き、重信川が氾濫した。続いて、6月初めよりウンカが発生した。このため、農作物は収穫皆無となり、穀類は高騰し、松山藩内の餓死者数は、享保17年11月29日の幕府への届け出によると、3,589人に達した。伊... 続きを読む

宝暦3年の水論

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宝暦3年(1753)、洪水があり、重信川の瀬筋を南側に移動させた。このため、三か村井堰の関切場を下林側の伽藍口門樋に接近させて設置したところ、水論が発生した。伽藍口門樋に接近されると、三か村井堰からの漏水と湧水を期待することができないためである。この年は郡役人... 続きを読む

宝暦3年の水論

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宝暦3年(1753)、洪水があり、重信川の瀬筋を南側に移動させた。このため、三か村井堰の関切場を下林側の伽藍口門樋に接近させて設置したところ、水論が発生した。伽藍口門樋に接近されると、三か村井堰からの漏水と湧水を期待することができないためである。この年は郡役人... 続きを読む

享和3年の洪水

享和3年(1803)、重信川の堤防決壊により、被害は志津川以西の各村に及び、「牛渕の平地4尺余浸水」(八木仁平覚書)にあるように野田、高井にまで達したと記録されている。 続きを読む

文化10年の洪水

文化10年(1813)、大洪水により、下林の三奈良神社の北側の田地が流失した。このため、重信川の瀬筋が変わり、滝ノ下泉は埋没し、滝ノ下井手も失った。 続きを読む

文化10年の洪水

文化10年(1813)、大洪水により、下林の三奈良神社の北側の田地が流失した。このため、重信川の瀬筋が変わり、滝ノ下泉は埋没し、滝ノ下井手も失った。 続きを読む

文化11年の洪水

文化11年(1814)、大洪水により、下林の三奈良神社の北側の田地が流失した。このため、重信川の瀬筋が変わり、滝ノ下泉は埋没し、滝ノ下井手も失った。 続きを読む

文化11年の洪水

文化11年(1814)、大洪水により、下林の三奈良神社の北側の田地が流失した。このため、重信川の瀬筋が変わり、滝ノ下泉は埋没し、滝ノ下井手も失った。 続きを読む

文政5年の洪水

文政5年(1822)6月、内川で大洪水があり、井手框が流損し、堰構築の資材が流失した。 続きを読む

文政5年の洪水

文政5年(1822)6月、内川で大洪水があり、井手框が流損し、堰構築の資材が流失した。 続きを読む

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