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15件のアーカイブスが見つかりました。

条件:香川県 三木町 渇水

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寛永3年の風雨・干ばつ

寛永3年(1626)閏4月7日大風雨があり、以後95日間雨がなく、餓民餓死者を多く出した。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

寛永20年の干ばつ

寛永20年(1643)4月下旬から6月下旬まで雨が降らず、五穀が実らないため、秋から冬にかけて餓死者を多く出した。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

承応3年の干ばつ・洪水

承応3年(1654)夏は大旱、秋は大洪水のため五穀実らず、餓民が多く出た。高松藩では米穀を施して救った。農耕の牛馬が多く餓死したので、藩から金を借りて牛馬を買ったものもある。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

宝永7年の干ばつ・台風

宝永7年(1710)6月より8月にかけて干ばつで、8月に至って大風、洪水が起こり、五穀実らず、飢饉となった。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

享保3年の干ばつ

享保3年(1718)8月、大旱。秋にはいなごが発生し、五穀十分に実らず大飢饉となった。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)4月から7月にかけて大干ばつ。高松藩では藩士の禄を10分の3に止めて、この難を切り抜けようとした。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

明和7年の干ばつ・台風

明和7年(1770)、163日間雨が無く、藩は倉庫を開いて難民を救済した。また、8月20日、21日の大風・洪水では家屋の倒壊が多数であった。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

寛政11年の干ばつ

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寛政11年(1799)、格別の干ばつで、池の水も干し上がり、天地も涸れるほどであった。白山で雨乞いが行われた。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

寛政12年の干ばつ

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寛政12年(1800)、日照り、白山での雨乞いを藩に願った。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

文化14年の干ばつ

文化14年(1814)、日照りが厳しかった。このため、氷上村が屋古戸関から取り入れた用水を再び吉田川に放流する落ち口に、田中村が新しく井関を築造したため、氷上村の一の井関には水が流れなくなった。氷上村は田中村の理不尽なやり方に怒って、郡役所に訴え出た。 続きを読む

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