明和8年の干ばつ

災害年月日
1771年00月00日
市町村
愛媛県砥部町、松山市
災害種類
渇水  
概要
明和8年(1771)、大干ばつのため、松山藩預所の徳丸村・出作村、大洲領八倉村・宮ノ下村・上野村の5ヶ村は、重信川よりの取水をめぐって、上手の麻生村と大水論を起こした。矢取川の河原での乱闘で2人の死者が出て、事件の責任を負った下麻生村の窪田兵衛門が死罪となった。この水論が契機になって、天明元年(1781)に赤坂泉が開削された。
地理院地図
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備考
兵右衛門は砥部町八倉雲雀山中腹の衣更着神社に祀られ、八倉公民館裏には兵右衛門の墓がある。
参考画像

参考文献
愛媛県土地改良事業団体連合会編「愛媛の土地改良史」(愛媛県、1986年)、132-133頁
情報源の種類
市町村史、郷土史
キーワード
干ばつ 水争い 重信川 死者 窪田兵衛門
NO.
愛媛1821