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条件: 火災

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元禄15年12月20日の火災

元禄15年(1702)12月20日酉の刻、浦戸町より出火、朝倉町、西新堀町等数町、600間軒を焼失した。同夜、安芸浜でも40軒焼失した。(「弘列筆記」による) 続きを読む

元禄15年12月22日の火災

元禄15年(1702)12月22日夜、小高坂北町より出火し、13軒焼失した。(「弘列筆記」による) 続きを読む

宝永元年の大火

宝永元年(1704)正月10日夜、魚棚一丁目より出火し、裏町一丁目の一部を除いて町屋のほとんどを焼土と化した。藩は宗純の意により、横堀橋詰で町方全部に朝夕粥を施したほか、米372俵や応急資材として大量の木材、竹などを下付した。 続きを読む

宝永元年2月の火災

宝永元年(1704)2月19日、紺屋町から出火し、300余軒が焼失した。 続きを読む

宝永元年の火災

宝永元年(1704)9月29日、中村出火、両側類焼。(「加藤家年譜」による) 続きを読む

宝永元年11月の火災

宝永元年(1704)11月14日、小高坂から出火して郭中・上町の家屋約600軒が焼失した。 続きを読む

宝永2年の火災

宝永2年(1705)11月14日、火災。弘列筆記には「子の刻、小高坂越前町より出火、南川原まで焼抜き築屋敷、片輪町一丁目、北奉公人町、本町、水通町、通町、南奉公人町、尚御郭へ火移り金子橋筋、本町、横町、中島町、上南川原堤限まで火、寅刻(4時)焼落ちる。」と記さ... 続きを読む

宝永3年の火災

宝永3年(1706)3月25日、裏町出火、類焼455軒。(「加藤家年譜」による) 続きを読む

宝永3年の火災

宝永3年(1706)3月25日、裏町出火、類焼455軒。(大洲領の災害) 続きを読む

宝永4年の火災

宝永4年(1707)3月16日、66軒焼失。 続きを読む

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