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547件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 地震・津波

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安政2年の地震

安政2年(1855)1月14日、地震。被害状況などは不詳。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海地震が起こり、津波による被害が発生した。この研究では、四国の歴史津波(慶長、宝永、安政)の津波高について、文献調査及び現地調査を実施し、各津波の挙動に関する考察を行っている。なお。現地調査の結果として、愛媛県宇和島市、高... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日~6日、大地震のため、田野々の刈揃(かぞろ)山北側の山辺りに東西方向に延々と亀裂が生じた。 その後、大雨の浸透により、安政2年(1855)8月、刈揃山は大崩壊し、現在のような蛇紋岩の赤裸々な山肌を露呈した。大崩壊の轟音は遠く樫原村... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海地震が発生し、津波が起こった。このため、那賀川河口の中島港は大破し、辰巳新田では60cmの地割れができたところもあり、黒津地の南新田が一面海になったと言われている。この時、今津の江野島大手海岸の松原が防潮堤の効果を発揮したと... 続きを読む

安政元年の地震による火災

安政元年(1854)11月5日申時(午後4時頃)の地震が徳島城下で最も大きな被害をもたらしたのは火災であった。地震の発生が冬であり、本震が最も火を使う夕方(申刻)であったため、地震で倒壊した家屋から出火した。さらに多くの人が津波等の被害を恐れすぐに近隣の山へ逃... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月5日~6日、大地震のため、田野々の刈揃(かぞろ)山北側の山辺りに東西方向に延々と亀裂が生じた。 その後、大雨の浸透により、安政2年(1855)8月、刈揃山は大崩壊し、現在のような蛇紋岩の赤裸々な山肌を露呈した。大崩壊の轟音は遠く樫原村... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、大地震により町内の墓地や庚申塔が倒れたと伝えられている。町内の至る所で、山畑の崩壊があったものと思われる。 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、南海沖の地震により、徳島の沿岸部は多大な被害を受けた。蜂須賀家の編年史である「阿淡年表秘録」によると、発生後11日で阿波国内での被害は石高85,000石余、潰家2,795軒、流失家3,800軒、焼失家3,570軒、死者150... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日より連日、大津波、地震により、潰家夥しく多かった。 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、M8.4の地震が起き、高知県・徳島県の沿岸部では地震・津波両面の被害を受けた。この安政南海地震発生の32時間前に安政東海地震(M8.4)が起きていたため、沿岸部では前日から多くの住民が山など高い場所に避難していたため、津波に... 続きを読む

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