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条件:徳島県 渇水

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明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月より降らず、7月に至り禾枯る。(「蜂須賀家記」による)/5月、閏6月、7月、御国干ばつにつき、御地高131,900石余御損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月、閏6月、7月、干ばつ。被害は阿波国で損耗131,911石2斗9升。(「阿淡年表秘録」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から4ヶ月間雨が降らず、稲が枯れた。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月より降らず、7月に至り禾枯る。(「蜂須賀家記」による)/5月、閏6月、7月、御国干ばつにつき、御地高131,900石余御損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から7月まで、大旱。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月~7月、雨降らず飢饉、干害13,190石減収。(「徳島県史」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から3ヶ月間、大干ばつが続いた。稲は枯れ、収穫皆無の所が多かった。数年来の不作続きの上、この干ばつにより、百姓は窮乏を極め、拝借米を歎願して一時をしのいだが、飢饉は翌8年も続いた。「明和の飢饉」という。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、... 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から閏5月、6月、7月に至る4か月間雨が降らず、稲が枯れた。板野郡誌によると、数年にわたって禾穀登らず、百姓一同窮乏して拝借米を嘆願した数が板野郡板東村(現大麻町)だけで110戸に及んだ。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から7月まで、大旱。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月より降らず、7月に至り禾枯る。(「蜂須賀家記」による)/5月、閏6月、7月、御国干ばつにつき、御地高131,900石余御損毛。(「徳島県史料年表」による) 続きを読む

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