検索結果

370件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 三好市 風水害

年代順で並び替える : |

文政6年の洪水

文政6年(1823)秋、洪水。(「山城谷村史」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ・洪水

文政6年(1823)夏大旱、秋洪水。 続きを読む

文政6年の洪水

文政6年(1823)秋、洪水。(「山城谷村史」による) 続きを読む

文政11年の風雨

文政11年(1828)8月、風雨。 続きを読む

文政11年の風雨

文政11年(1828)8月、風雨。 続きを読む

文政12年の洪水

文政12年(1829)、馬路川で大洪水。この大洪水を「丑年大流れ」と言い伝えている。口碑によれば、七日七夜降り続き所々に山津波が起こり、馬路川の井堰は悉く決壊し、翌春は若鮎が佐野まで遡上した。この洪水は佐野の庄屋の石垣を浸した。(「馬路川洪患志」による) 続きを読む

文政12年の洪水

文政12年(1829)、佐馬地川で大洪水。馬路川洪患志によると、「口碑によれば七日七夜降りつづき、処々に山津波が起こり馬路川の井堰はことごとく決壊し翌春はあゆが佐野までさかのぼった」という。 続きを読む

天保6年の干ばつ・風雨

天保6年(1835)夏は大旱、秋は大雨のため、諸川洪水のため、農産物の被害は少なくなかった。 続きを読む

天保7年の大雨

天保7年(1836)夏秋続いて大雨のため、稲が実らず、大凶作となって餓死者が続出した。 続きを読む

天保13年の洪水

天保13年(1842)、馬路川で大洪水。これを「寅年の大洪水」と言い伝えている。洪水により白地馬谷の土砂が北名の数戸を埋め、水路は北名の北端を迂回して住吉山の麓に出た。馬路深川谷の堂床の大木が山津波に乗って立ちながら土居の田の中に押し出された。宮の谷の洪水は境... 続きを読む

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 37