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315件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市

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天保14年の洪水

天保14年(1843)7月7日朝より翌朝まで大雨が降り、勝浦郡では洪水により流家何百軒か数知れず、死人は田野浦村だけでも50人ほどもいたようである。徳島富田の家中でも座上5、6尺に達し、死人が出たようである。 続きを読む

天保14年の七夕水

天保14年(1843)7月1日以来の大雨によって、7日には吉野川をはじめ各河川が氾濫した。これを卯の七夕水という。特に勝浦川流域の被害は大きかったようである。宮井村庄屋・平岡邦平の記録によると、農家54県が流失し、地高4,300石が被害を受け、そのうち1,45... 続きを読む

天保14年の火災

天保14年(1843)11月5日朝4ツ時(午前10時頃)、佐古町11丁目椎宮馬出シ場付近から出火し、およそ1丁ばかり焼きわたる。(「阿陽市街実記」による) 続きを読む

弘化元年の火災

弘化元年(1844)10月5日晩4ツ前(午後10時頃)、西船場付近より出火し、6日7ツ時(午前4時頃)に鎮火した。この時には御家中数百人が駆けつけ、防火に当たった。(「元木氏記録」による)/この記録では、文政7年(1824)年の新町での火事に懲りた人々が、大火... 続きを読む

弘化2年10月の火災

弘化2年(1845)10月5日、西新町で大火。(「阿淡年表秘録」「阿波志」「かどや日記」などによる) 続きを読む

弘化4年11月の火災

弘化4年(1847)11月7日、紙屋町一丁目より出火。(「阿淡年表秘録」「徳府世情ひかえ」による) 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月8日~11日、酉の水(別名「阿呆水」)により、徳島城下が冠水した。(松下師一) 続きを読む

嘉永2年の阿呆水

嘉永2年(1849)7月8日から強風を伴って降り始めた大雨は、11日まで続いた。このため、吉野川、鮎喰川など主要な河川は至る所で決壊し、大洪水となった。鮎喰川では13箇所の堤防が決壊した。この大洪水は「酉の阿呆水」と呼ばれている。吉野川沿岸の祖母ヶ島、小塚、佐... 続きを読む

嘉永2年の酉の水

嘉永2年(1849)7月15日より数日、霖雨が降り続き、榎瀬村では川の堤防が破壊され村内一円が浸水した。酉の大水と言う。 続きを読む

安政元年の南海地震

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安政元年(1854)、安政南海地震が起こった。地震後に建立された徳島市の百度石には、裏面に「ももとせを経ぬほどにはかようの震濤有り」と刻まれ、南海地震の周期的な発生を知らせ、後世に警鐘を鳴らしている。 続きを読む

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