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条件:徳島県 徳島市

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慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)、寅年の大水。北井上村井戸の河野石見所蔵の記録によると、流失家屋1,903軒、死者2,040人、牛死1,700頭であった。 続きを読む

慶応2年の寅の水

慶応2年(1866)夏、連日の豪雨により園瀬川は大洪水となり、園瀬橋付近北岸の堤防から決壊し始め、4ヶ村用水下井利付近まで約50間破堤した。人家8戸流失し、死者20余名を出し、非常な惨状を呈した。また、付近一帯の大坪・新貝の田んぼは土砂により埋没し、住民は非常... 続きを読む

慶応2年の洪水

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慶応2年(1866)、吉野川で大洪水「寅の水」が発生した。国府町芝原の蔵珠院の過去帳によると、芝原第十の堤防が全壊し、当院の檀家32人が亡くなった。また、院内の板襖や壁には当時の痕跡が残っている。蔵珠院前には寅の水の痕跡水位を示す標柱と石碑が建っている。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)夏、連日の豪雨により園瀬川は大洪水となった。園瀬橋付近北岸の堤防から決壊し始め、約50間破堤した。多数の死者を出し、大坪・新貝の田んぼは土砂で埋没した。寅年の洪水と言われる。 続きを読む

安政7年8月の豪雨

安政7年(1860)8月5日より3日間の豪雨で、吉野川の堤防が切れ、下流川口の川内村では濁水が天井に達した家も多く、35人水死。(「川内村史」による) 続きを読む

万延元年の風水害

万延元年(1860)7月11日夜、風雨、津波あり、潮が押し寄せ、田地30町余に損害が及んだ。直ちに仮汐留堰を作るように、関係する平石、加賀須野、大松の三村から郡代に上申し、普請施行された。 続きを読む

万延元年の大雨

万延元年(1860)5月、大雨、洪水。(「川内村史」による) 続きを読む

万延元年の大雨

万延元年(1860)5月、大雨、洪水。(「川内村史」による) 続きを読む

安政4年の台風

安政4年(1857)8月、暴風雨により、川内町で倒壊家屋350戸。(吉野川の主な洪水の歴史による) 続きを読む

安政4年の台風

安政4年(1857)7月1日朝六ツ時頃より大風雨となり、平石村では居宅、納屋合わせて46軒が潰家となった。 続きを読む

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