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条件:徳島県 海陽町(宍喰町)
永正9年(1512)8月4日に宍喰浦を襲った津波では、多くの人的被害を出したことが「震潮記」に記録されているが、これ以外には確認されていないため、「幻の津波」とされている。本研究では、永正津波の原因が海底地すべりであると仮定し、海底地形調査により地すべり地形を... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、津波。「宍喰浦旧記」には「八月洪浪入みち右所の分残らず流失いたし候、其節所の城山へにげ上がる者数十人なり、南の橋より向の町分も残らず流失、然れども此所は山近故多くの人死もこれ無く候、橋より北分は町家多くいたみも之なく候へども死人多... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、津波が宍喰を襲い、宍喰浦で3,700余人の犠牲者が出て、1,500余人は助かったという。この時代には、城や宍喰の中心は現在の正梶の地にあったが、津波により街が壊滅したため、その後現在の愛宕山に城を移したと言われている。なお、この永... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、津波。ただし、この日は地震も風水害もなく、あるいは外国地震による津波か。「宍喰浦旧記」には「八月洪浪入みち右所の分残らず流失いたし候、其節所の城山へにげ上がる者数十人なり、南の橋より向の町分も残らず流失、然れども此所は山近故多くの... 続きを読む
慶長9年(1604)12月16日午前8時頃、房総半島南東沖と室戸岬沖に2つの震源をもつM7.9の地震が同時に起き、大津波が犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸に大きな被害を与えた。徳島では宍喰で1,500余人の犠牲者を出し、津波は愛宕山の8分目(約20m)まで達した... 続きを読む
慶長9年(1604)12月16日、宍喰浦で辰半刻(午前8時頃)より申上刻(午後3時頃)にかけて大地震が起こり前代未聞の大変であった。酉上刻(午後5時半頃)月の出の頃より大波海底すさまじく惣所中の泉よりいず湧き出るところ2丈(約6m)余上り、その外地さけ泥水湧き... 続きを読む
慶長9年(1604)12月16日辰の半刻(午前8時)より申の上刻(午後4時)まで大地震で、大海が3度鳴り渡った。戌の下刻(午後9時)頃に大津波が襲来し、宍喰浦中の井泉から水が2丈余も湧き上がり、大地は裂け泥水が吹き出した。家は一軒も無しとなり、宍喰で1,5... 続きを読む