検索結果

241件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 海陽町

年代順で並び替える : |

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、地震・津波により、徳島県宍喰では犠牲者が1,500余人(3,800余人)という記録が残されている。宍喰の北部に隣接する鞆浦では溺死者100余人、また宍喰の南部に接する高知県甲浦でも溺死者が350余人にもなった。さらに室戸市佐喜... 続きを読む

慶長9年の地震

image

慶長9年(1604)12月16日の地震・津波について、鞆浦の「大岩慶長・宝暦地震碑」には、地震の記述はなく、大海三度鳴り、その後高さ10丈(約30m)もの津波が7度あり、男女100余人が流死したことを記している。 続きを読む

慶長9年の地震

image

慶長9年(1604)12月16日午前9時から午後3時まで大地震で、午後5時頃より大波が襲来した。宍喰浦中の泉から2丈余(約6m)水が湧き出て、地は裂け、泥水が湧き出て、城山(愛宕山)に逃げ上る人数は170余人に及び、老人や子どもは道で波に打ち倒され、流死した。... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、大地震、津波。四国の太平洋岸では特に津波の被害が大きく、土佐と宍喰で死者3,800人に及んだ。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む

慶長9年の南海地震

image

慶長9年(1604)12月16日、南海地震が発生した。この冊子には、慶長南海地震に関する石碑等として、海陽町浅川の天神社「折損鳥居」、鞆浦の大岩「慶長・宝永地震津波碑」に関する情報が掲載されている。 続きを読む

慶長9年の地震

image

慶長9年(1604)12月16日辰半刻(午前8時)より申上刻(午後3時)まで大地震が起こり、酉上刻(午後5時)頃より津波が襲った。170余人の人々が小山に逃げるが、老人や幼少の者は波に打ち倒されて流死した。円頓寺(えんどじ)の人々は本尊、証文などを持ち、命から... 続きを読む

慶長9年の地震

image

慶長9年(1604)、大地震・大津波。鞆浦北町の路傍にある高さ1丈、径1.2~1.8丈の砂岩の碑文が刻まれている。碑文には、慶長9年12月16日亥の刻(午後10時)に大海三度鳴り、高さ10丈の逆浪が7度来たため、男女100余人が海に沈んだので、後世に伝える旨が... 続きを読む

慶長9年の地震

image

慶長9年(1604)12月16日午前8時頃、房総半島南東沖と室戸岬沖に2つの震源をもつM7.9の地震が同時に起き、大津波が犬吠岬から九州に至る太平洋沿岸に大きな被害を与えた。徳島では宍喰で1,500余人の犠牲者を出し、津波は愛宕山の8分目(約20m)まで達した... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、地震、大津波があり、土佐宍喰で溺死3,800人。(「理科年表」による)/「宍喰旧記」には「辰半刻(9時)より申上刻(16時)まで大地震にて酉の上刻(18時)月出の頃大浪入来り海上凄じく惣浦中泉より水涌出る事二丈余上り地裂け沼水... 続きを読む

慶長9年の地震

慶長9年(1604)12月16日、M7.9の地震。犬吠埼から九州沿岸に至る広範囲で津波被害。特に高知、徳島で甚大。宍喰で1,500余人の死者。 続きを読む

1 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25