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35件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 那賀町(鷲敷町) 風水害

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慶応2年寅の水

慶応2年(1886)8月5日から7日にかけて大雨が降り続き、7日夜中には仁宇の宝珠院前まで川水が来たと、阿井村庄屋御用代・加藤清太郎の日記に記されている。この水害により、百合村では被害の多少に応じて年貢の減免が行われた。また、小仁宇村の庄屋であった秋本家には、... 続きを読む

明治25年辰の水

明治25年(1892)7月24日の夜、那賀川は増水したが、翌25日には平水となった。これは荒谷山三文峠が大崩壊して、那賀川の水を堰き止めたためであった。27日午後4時過ぎになって、堰き止めていた土砂が崩れ始め、その水は約17m余の濁流となって家屋田畑を壊流した... 続きを読む

明治45年9月の洪水

明治45年(1912)9月22日~23日、那賀川大洪水。住宅浸水四丈一尺被害多し。 続きを読む

明治45年10月の洪水

明治45年(1912)10月2日、第二暴風雨、大洪水。 続きを読む

大正7年の水害

大正7年(1918)の水害の写真1枚。和食殿谷医院付近から西町を望む。 続きを読む

大正7年7月の洪水

大正7年(1918)7月11日午前7時より増水、午後2時頃より減水せしも、翌12日午前4時30分増水しはじめ、同11時10分那賀川増水3丈6尺に及べり、流出田8町歩、浸水35町。蛭子神社鳥居東側、椴9尺廻り、長さ10間地上4間以上より倒壊。また、和食町もほとん... 続きを読む

大正7年8月の洪水

大正7年(1918)8月29日、30日、大正7年の大水と言われる大洪水があった。浸水家屋341戸、避難した家10戸、流出家屋17戸、倒壊家屋6戸。 和食郷西在庵境内には、大正7年の大水に際して多くの人命を救助した岩端利三郎の墓がある。その墓には、那賀川の大洪水... 続きを読む

昭和9年の室戸台風

昭和9年(1934)の室戸台風による水害の写真1枚。和食東町を望む。 続きを読む

昭和9年の室戸台風

昭和9年(1934)9月21日午前5時頃、高知県奈半利町に上陸した台風で、最低気圧684ミリ、最大風速45mという当時の世界最大級の台風と言われた。鷲敷町には大きな被害がなかった。 続きを読む

昭和24年のデラ台風

昭和24年(1949)6月20日、デラ台風が九州地方に上陸した。鷲敷町では大雨が続き、那賀川が約7m増水し、田畑の冠水37町歩、道路欠潰9箇所、橋の流失1、非住家流出3棟で、災害救助法が発動された。災害復旧費として326千円が予算化された。 続きを読む

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