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34件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市(那賀川町) 風水害

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昭和13年の台風

昭和13年(1938)9月5日、台風が牟岐に上陸し、徳島市の西を通って鳴門市の北灘に抜けた。横瀬(勝浦町)では394ミリの降雨を記録した。那賀川町では海岸堤防の決壊が報じられた。 続きを読む

昭和9年の室戸台風

昭和9年(1934)9月21日朝、台風が室戸岬を通った。風により多くの建物が倒壊した。台風被害は、北海道を除いた全国各地に及び、特に大阪では高潮被害を伴い大きな被害が出た。雨量は雲早山(くもそうやま)で300ミリで、その他では比較的少なかった。県下の被害は1,... 続きを読む

昭和7年の大雨

昭和7年(1932)7月2日未明、徳島市付近を低気圧が通ったため、県南各地では日和佐で400ミリを記録するなど大雨となった。浸水、橋の流失、道路の決壊が起こり、徳島市内では浸水も発生した。 続きを読む

昭和6年の台風

昭和6年(1931)9月26日、台風が九州と山陰の両海岸をかすめて北東進した。那賀川以南で多くの雨が降り、小河川の氾濫によって局地的に被害が出た。被害は那賀、海部の両郡に限られ、家屋、橋梁、道路に被害があったようである。 続きを読む

昭和3年の台風

昭和3年(1928)8月30日、台風が豊後水道を北上し、中国地方に抜けた。県内の大部分で200~300ミリを観測し、那賀川上流で多く降り、近年まれな出水となった。那賀川では大正7年(1918)の洪水で被害を受けた堤防の復旧工事が緒についたばかりであったので、再... 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、前日来の暴風雨が洪水を引き起こし、その夜は水量が2丈5尺に及んだ。西原以東中島の堤防はうねりにうねって危なく見えたが、急に減水したため、格別の被害はなかった。翌朝になって、この減水は、上流対岸の柳島、横見、下大野の破堤の結果であ... 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)8月29日、台風により集中豪雨となり、福原で408ミリを記録した。那賀川の最高水位は古庄で6.2mに達し、右岸の中野島村、大京原で被害が大きかった。また、江野島・色ヶ島の大手海岸の砂浜や松原は高潮により流失した。この洪水は、大正元年(191... 続きを読む

大正7年の洪水

大正元年(1912)の洪水及び大正7年(1918)の洪水を契機に、那賀川沿岸の住民は改修の必要を訴えた。この結果、那賀川は大正12年(1923)に重要河川に指定され、昭和4年(1929)には直轄改修事業が開始されることになった。 続きを読む

大正4年の台風

大正4年(1915)9月8日、暴風雨により、稲作の白穂被害がほぼ平島村の全村にわたった。明治17年(1884)の暴風雨による白穂被害に次ぐ大被害となり、免租地反別は181町余に達した。 続きを読む

大正元年の台風

大正元年(1912)9月22日、台風が県南岸をかすめて阪神地区に上陸した。那賀川、吉野川、勝浦川の水位は上昇し、海岸は高潮に見舞われた。 続きを読む

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