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54件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 阿南市 地震・津波

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明治21年の地震

明治21年(1888)7月31日、地震により、那賀郡橘村(阿南市)が津波の害を受けた。 続きを読む

明治21年の津波

明治21年(1888)8月、「橘浦村史」によると、「橘に津波が襲来、高さ十尺に達する」と記されている。この時、地震発生の記録はなく、詳細は不明である。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)、南海地震により地盤変動が起こり、那賀川から吉野川の河口にかけて20~30cm沈下したと言われる。堤防の復旧工事が昭和24年(1949)頃から始まった。 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)の南海地震で、阿南市の女性が必ず津波が来ると思い、近所の高い家に避難した。それは、この家に嫁ぐ時に父から地震があった時には必ず津波が来ると思い、高いところに避難するようにとの注意を受けたためであった。(「阿波の語り部」による) 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)の南海地震で、阿南市の女性が必ず津波が来ると思い、近所の高い家に避難した。それは、この家に嫁ぐ時に父から地震があった時には必ず津波が来ると思い、高いところに避難するようにとの注意を受けたためであった。(「阿波の語り部」による) 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、紀伊半島沖を震源とするM8.0の南海地震が発生。津波が海岸に来襲し、津波の高さは福井村湊3.6m、橘町鵠4.9m、橘町西浜3~3.3m、見能林村答島2.4m、椿町横尾3.6m、椿泊2.4~2.7m。地震の震動が... 続きを読む

昭和21年の南海地震

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昭和21年(1946)12月21日、南海地震が発生した。この冊子には、小松島市の「立江川排水改良事業之碑」、立江八幡神社「農地災害復旧碑」、阿南市鵠の和光神社「石碑」、福井町の大原「地神上棟式記念碑」、住吉神社「海嘯潮痕跡標石」、牟岐町大牟岐田の旧旭町南海地震... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海道大地震が発生し、見能林村では津乃峰神社社務所等が倒壊し、神社職員1人圧死、津波により大手海岸21箇所決潰、百トンの貨物船5隻が浜や田畑に打ち上げられ、椿泊では浸水家屋200戸、船舶の大破30隻、橘では死者1人、負傷者1... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日午前4時19分、紀伊半島潮岬南方海底を震源とする大地震が起こった。当時、見能林警防団長だった人の思い出をもとに、地震と津波の状況などについて記載されている。ここには、地震後30分ほどして津波の第一波が押し寄せてきたこと、その2... 続きを読む

昭和21年の南海地震

昭和21年(1946)12月21日、南海地震が発生し、津波が沿岸を襲った。この津波は、襲来時間が夜明け前であり、しかも満潮時と重なったため、かなりの被害を引き起こした。那賀川町では、今津の大手海岸が21箇所決壊し、100トンの貨物船が5隻、浜や田畑に打ち上げら... 続きを読む

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