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条件:愛媛県 土砂災害

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昭和15年の豪雨

昭和15年(1940)7月8日早朝3時頃より、雨が激しく降り出し、大島地区全域で豪雨となった。特に大山村田之浦、泊、宮窪村宮窪では激しい集中豪雨となった。このため、それまで長雨の水を含んでいた山肌、傾斜地では山崩れ、崖崩れが続出した。宮窪中央を流れる大川の堤防... 続きを読む

昭和15年の山崩れ

昭和15年(1940)7月8日、降り続いた雨により、泊の相田の谷の山崩れ、泊から田浦峠に至る区域の山崩れが起こり、田畑、家屋を押し流し、低地を埋め尽くした。このため、田浦では家屋倒壊により児童1人が死亡し、重軽傷者2人が出た。(泊尋常高等小学校長の「水害状況報... 続きを読む

昭和15年の山崩れ

昭和15年(1940)7月8日、降り続いた雨により、泊の相田の谷の山崩れ、泊から田浦峠に至る区域の山崩れが起こり、田畑、家屋を押し流し、低地を埋め尽くした。このため、田浦では家屋倒壊により児童1人が死亡し、重軽傷者2人が出た。(泊尋常高等小学校長の「水害状況報... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)、肱川の洪水により、肱川橋通りでは浸水4尺となり、若宮では濁流により家屋が倒壊した。また、新谷国民学校裏の山や大成地区、米津地区でも山崩れがあり、数人の死者が出た。さらに平野香田地区では濁流により警防団員が殉職した。写真20枚。 続きを読む

昭和18年の長雨・豪雨

昭和18年(1943)6月~8月は60日近くも降雨があった。この間、7月21日から4日間豪雨が続き、農作物などに深刻な被害を与えるとともに、各河川の護岸などを決壊させ、海岸道路や鉄道及び河川沿いの道路は長期間不通となった。被害は、家屋の流失15戸、半壊11戸、... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、約60日に近い長雨を記録した。河川の被害は甚大で、富貴川、横松川等はそのまま放棄せざるを得なかった。被害は、家屋の流失15戸、半壊11戸、畜牛市場建物2棟・下灘第二小学校・倉庫1棟の流失、水田の流失1.5ha、堤防の崩壊3,060m... 続きを読む

昭和18年の洪水

昭和18年(1943)7月、旧大洲町肱北地区で肱川の堤防が決壊し、新町・若宮地区に多大な被害を与えるとともに、大洲盆地全域を泥海と化した。現在の大洲市域の被害は死者28人、住家の流失7戸、全壊74戸、半潰103戸、床上浸水3,872子、床下浸水477戸等に及ん... 続きを読む

昭和18年の大雨

昭和18年(1943)7月、大雨が数日降り続き、僧都川の堤防が城辺地区で2箇所大きく決壊し、御荘町でも観栄橋付近で土手が崩れ、和口橋や観栄橋も流失し、田地が浸水したり、土砂に埋まるなど被害は甚大であった。菊川地区では、軍用資材の切り出しが行われていたため。各所... 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月21日~24日、台風により、宮内村では堤防の決壊、家屋の倒壊・埋没・浸水・流失、田畑の浸水・流失の被害が出た(「宮内村日誌」による)。また、喜木川が増水し、地区住民に避難警報が出された。今井の堤防が決壊し、今井・川向の全戸が床上浸水し... 続きを読む

昭和18年の台風

昭和18年(1943)7月21日から台風に伴い降り続いた雨で、喜木川は増水し、24日10時頃には町全体が床上浸水し、八幡橋、神越橋、一里塚橋が決壊し、11時頃には喜須来橋も決壊し、喜木と須川の交通は完全に途絶えた。午後1時過ぎには新川上流奥の大峰山の中腹地区の... 続きを読む

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