検索結果

164件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 今治市 渇水

年代順で並び替える : |

嘉永6年の干ばつ

image

嘉永6年(1853)7月10日、大干ばつにより郡方加茂社で雨乞い、7俵。 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)8月、干ばつ、各寺社で雨乞い。(「国府叢書」による) 続きを読む

安政2年の干ばつ

image

安政2年(1855)7月、郡方雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

安政3年の干ばつ

image

安政3年(1856)7月、加茂社で雨乞い、松山領11郡より。(「加茂社記」による) 続きを読む

万延2年の干ばつ

image

万延2年(1861)6月、郡方、代官所雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

慶応3年の干ばつ

image

慶応3年(1867)7月、郡方、代官所雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

明治6年の水論

明治6年(1873)、八幡村字内外兼安で水論。(「新今治市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)、冬から春にかけて雨が少なく、大豆・小豆の成育が不良である。また、池に水がなく、泉の出水もなく、村内の4、5町の田植えができない。7月1日から4日まで小雨が降り、これ芋の植え付けができ、中の上の作柄となった。(「藤井此蔵一生記」による) 続きを読む

明治6年の干ばつ

image

明治6年(1873)、記録的な大干ばつのため、多伎神社では4度の雨乞い祈祷を執行した。 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)2月頃から降雨がなく、5、6月になっても雨はなく、稲播種の養水を得ることができず、県下一円深刻な水飢饉の様相を呈した。数万町歩の田地は干し上がって亀裂を生じ、泉水を汲んで田植えをしても枯萎し、そば、大豆などを播いても炎日のため生育しなかった... 続きを読む

1 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17