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154件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 伊予市

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明治42年の水論

明治42年(1909)、伊予郡上三谷と下三谷で水論、中村・森・本郡の百姓300人築分池に終結。(「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治42年の山火事

明治42年(1909)4月、下灘村大字串で原因不明の火災が発生し、山林3町6反余が焼失した。 続きを読む

大正3年の水論

大正3年(1914)、伊予郡上三谷と下三谷で水論。(「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

大正11年の干ばつ

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大正11年(1922)、南伊予村は大干ばつで、翌大正12年は大水害と2年連続の災害を被った。南伊予村村長の武智惣五郎は、大正12年に大谷川を堰き止めて大谷池の築造を計画した。大正13年に南伊予村外3ヶ村(郡中村、松前町、北伊予村)耕地整理組合を組織し、事業の推... 続きを読む

昭和2年の地震

昭和2年(1927)3月7日、奥丹後若狭湾付近を震源とするM7.3の地震により、東予地方では家屋がかなり強く揺れ、屋外に飛び出す人がいるほどであった。南予地方は微震であった。 続きを読む

昭和2年の地震

昭和2年(1927)3月7日、奥丹後若狭湾付近を震源とする地震により、東予地方では家屋がかなり強く揺れ、屋外に飛び出した者もいた。南予地方は微震であった。 続きを読む

昭和8年の高波

昭和8年(1933)9月、愛媛県の海岸一帯を襲う津波が発生し、双海地域でも海岸被害により多数の流失家屋を出し、護岸は壊滅に近い状態になった。下灘村の被害は、家屋の流失12戸、半壊21戸、護岸の破損777mに及んだ。天皇陛下より、双海地域を含めた各市町村に見舞金... 続きを読む

昭和8年の高波

昭和8年(1933)9月、津波により、双海町では海岸被害により多数の流失家屋を出し、護岸は壊滅に近い状態になった。旧下灘村の被害は、家屋の流失12戸、半潰21戸、護岸の破損777mに及んだ。天皇陛下より、見舞金が下賜された。 続きを読む

昭和10年の山火事

昭和10年(1935)3月15日午後7時頃、下灘村大字串字ヌタノモトの山林より出火した。郡内及び喜多郡からも消防団員が出動したが、強風のため付近の山林に延焼し、309町3反余が焼失して、16日午前7時に沈下した。損害11万2千円程度。 続きを読む

昭和12年の地震

昭和12年(1937)2月27日、安芸灘を震源とするM5.9の地震により、松山市武徳殿のガラスが破損し、三津浜缶詰会社の煙突が倒壊した。 続きを読む

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