検索結果

38件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 大三島

年代順で並び替える : |

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日、「四つ時大地震、去虎霜月五日よりも大なり。尤少の間震し故、格別痛損なし、然共松山、今治辺多分の痛に候、当村(井口村)にても森川辺格別大震なり」。(「藤井此蔵一生記」による) 続きを読む

天保15年の干ばつ

天保15年(1844)、日照りが続くので、大庄屋が神社に雨乞い祈祷を依頼した。(「天保十五年辰御用日記」による) 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月19日~21日の大雨で、台村本川が破損し、本田、新田が数町にわたって水損を受け、切口付近の人家2軒、塩浜、建物などが押し流された。(「文政九年御用日記」による) なお、この年は雨が降らないため、藩命により大山祇神社に雨乞い祈祷の依頼をし... 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)3月から7月まで日照りが続き、農作物が不作となった。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保14年の干ばつ・強風

享保14年(1729)8月、干ばつと強風が同時に襲ったため、保水力のない島内の農作物は枯死した。 続きを読む

享保14年の干ばつ・台風

享保14年(1729)、日照りと8月、9月の二度の大風のため、農作物などに大きな被害が出た。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保9年9月の高潮

享保9年(1724)9月、高潮により、大三島の島内241箇所の海岸の堤防が決壊した。 続きを読む

享保9年の干ばつ・高潮

享保9年(1724)、大干ばつのため、田植えできない田が11町あった。その上、9月14日高潮により新田堤が各所で決壊した。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、稀に見る大干ばつで、島内だけで11町歩の水田が植え付けを放棄した。 続きを読む

享保7年の洪水

享保7年(1722)、洪水のため三嶋大明神神馬境内の木々が枯れ、人夫を雇って水抜き、小川・井手の堀方工事をした。この時、延べ人夫622人に対し、1人当たり夫食米7合5勺が御公儀(松山藩)から給付されている。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

1 2 3 4