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38件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 新居浜市 土砂災害

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明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、四国地方に暴風雨が襲来した。東予地方では、28日午前9時頃から雨が降り出し、午後7時頃には東風が北風に変わると、風雨はますます強烈になり、山岳部では豪雨となった。宇摩郡別子山村では足谷川流域の見花谷・両見谷・小足谷等で山崩れが... 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日の別子山村の風水害は、別子銅山の鉱害に原因があるとして、技師を派遣して調査させることを要求した建議が、12月12日に愛媛県議会に提出され、12月14日の第一読会を経て、満場一致で採用され確定議となった。(「愛媛県議会議事録第58... 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、千余人の犠牲者を出した。この記録には、当時神戸新聞の記者であった江見忠功が現地から報告した「別子銅山変災視察録」第1報~第6報が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、千余人の犠牲者を出した。この記録には、当時神戸新聞の記者であった江見忠功が現地から報告した「別子銅山変災視察録」第7報~第10報が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、水害や土砂災害をもたらした。この災害について、この稿では以下の記録が紹介されている。「東指宛池坊専啓書簡」、「下泉・秋葉家記録」、「水害記念之碑」、「広瀬家文書」、「土居町北野村・岡田政助文書」、「I... 続きを読む

明治32年の水害

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明治32年(1899)の別子銅山の大水害に際して、医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得た。(「新居浜史談」による)明... 続きを読む

安政元年の土砂災害

安政元年(1854)11月5日、南海地震により、別子鉱山の坑内で大湧水となり、採鉱に支障をきたした。(「住友別子鉱山史上巻」による) 続きを読む

明応7年の地震

明応7年(1498)6月11日、大地震あり、地すべりまたは土地陥没の所多かった。黒島(今の新居浜市)では一番激しく、土地が大いに陥没、崩壊し、面積の4分の3を失い、住民は四方に避散した。(「新居郡誌」による) 続きを読む

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