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54件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 新居浜市 風水害

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明治32年の別子銅山水害

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明治32年(1899)、別子山村の見花谷等で大水害が発生し、多数の犠牲者が出た。医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得... 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日の別子山村の風水害は、別子銅山の鉱害に原因があるとして、技師を派遣して調査させることを要求した建議が、12月12日に愛媛県議会に提出され、12月14日の第一読会を経て、満場一致で採用され確定議となった。(「愛媛県議会議事録第58... 続きを読む

明治32年の水害

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明治32年(1899)8月28日、土佐湾に上陸した台風は石鎚山脈を越えて東予地区を襲い、午後6時頃には暴風雨となった。最高潮に達した8時半頃には、全山が山津波の状態となり、一緒に風呂屋谷、見花谷及び小足谷の従業員住宅をはじめ、製錬所、収銅所、倉庫などが一大音響... 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、千余人の犠牲者を出した。この記録には、当時神戸新聞の記者であった江見忠功が現地から報告した「別子銅山変災視察録」第1報~第6報が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、暴風雨により、別子銅山水害が起こり、死者512人、家屋の流失・倒壊186戸。その他東予で死者151人。 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、千余人の犠牲者を出した。この記録には、当時神戸新聞の記者であった江見忠功が現地から報告した「別子銅山変災視察録」第7報~第10報が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、水害や土砂災害をもたらした。この災害について、この稿では以下の記録が紹介されている。「東指宛池坊専啓書簡」、「下泉・秋葉家記録」、「水害記念之碑」、「広瀬家文書」、「土居町北野村・岡田政助文書」、「I... 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、東予地方を大風水害が襲った。この記録には明治32年8月27日~9月14日の「新居浜村水害日誌」抄が掲載され、被害の状況や対応等を知ることができる。 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、別子を直撃した暴風による大雨は、工場等の施設・人員に未曾有の大災害を蒙らせ、別子鉱業所の新居浜移転を加速させる原因となった。「住友別子鉱山史」には、同日の降水量325ミリ余のほとんどが集中豪雨となって降り注ぎ、山津波となって人... 続きを読む

明治32年8月の水害

明治32年(1899)8月28日の台風により、愛媛県内の死者が828人となり、愛媛県内では明治時代最大の災害である。特に被害が大きかったのは東予地方で、その中でも甚大な被害が出たのが別子銅山であった。新居浜と旧別子では512人が亡くなった。新居浜市山根町の瑞応... 続きを読む

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