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355件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市

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寛政9年の干ばつ

寛政9年(1797)、大干ばつにより、代官が大宮神社参拝、祝詞を奏上。 続きを読む

寛政4年の風雨

寛政4年(1792)7月26日、大風雨洪水。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)7月、大干ばつ、被害74,500石。 続きを読む

寛政元年の水論

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寛政元年(1789)、菖蒲堰の上堰と下堰の分水をめぐり、水論が起こった。 続きを読む

天明8年の水論

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天明8年(1788)、菖蒲堰の上堰と下堰の分水をめぐり、水論が起こった。 続きを読む

天明8年の水論

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天明8年(1788)、菖蒲堰の分水をめぐり、北方村と樋口外4ヶ村で水論が起こった。(東温市の水利年表) 続きを読む

天明5年の水論

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天明5年(1785)、干ばつのため、菖蒲堰の上堰側は高い堰で流水をせき止めたため、下堰側と水論となった。郡役人が仲介に入ったが、十分に解決することができなかったため、翌年5月に奉行所手代重松儀兵衛らが調査して、分木を門樋に立てて、分水量を調整するようにした。 続きを読む

天明5年の水論

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天明5年(1785)、干ばつのため、菖蒲堰で水論が起こった。北方村が上堰をこれまでより高くして取水したため、下堰を利用する樋口・志津川・西岡3ヶ村が用水に窮して争論となった。郡役人の裁定によって、堰の門樋に分木を立てて、5寸6歩までを北方村へ(但し引水の井手幅... 続きを読む

天明5年の水論

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天明5年(1785)、干ばつのため、菖蒲堰の上堰側は高い堰で流水をせき止めたため、下堰側と水論となった。郡役人が仲介に入ったが、十分に解決することができなかったため、翌年5月に奉行所手代重松儀兵衛らが調査して、分木を門樋に立てて、分水量を調整するようにした。 続きを読む

天明5年の干ばつ

天明5年(1785)、松山藩干ばつ。 続きを読む

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