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95件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市 渇水

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文政13年の水論

文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む

文政13年の水論

文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む

天保3年の干ばつ

天保3年(1832)8月、雨なく不作。米価高騰。(「近藤林内日記」、「学校日誌」による) 続きを読む

天保8年の干ばつ・水害

天保8年(1837)、干害、水害により不作。米1升190文に高騰。(「近藤林内日記」、「学校日誌」による) 続きを読む

天保10年の干ばつ

天保10年(1839)、干ばつ。 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)、大干ばつ。(東温市の水利年表) 続きを読む

慶応2年の干ばつ

慶応2年(1866)、干害。 続きを読む

明治6年の干ばつ

明治6年(1873)7月、大干ばつ。 続きを読む

明治9年の水論

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明治9年(1876)、菖蒲堰の大落水で、北方村と樋口・志津川・西岡の3村が水論、双方に負傷者が出る。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

明治9年の水論

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明治9年(1876)、菖蒲堰の大落水をめぐり、北方村と樋口・志津川・西岡の3ヶ村で水論があり、双方に負傷者が出た。愛媛県の仲裁を仰いだ。(東温市の水利年表) 続きを読む

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