検索結果

355件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 東温市

年代順で並び替える : |

文化11年の洪水

文化11年(1814)、大洪水により、下林の三奈良神社の北側の田地が流失した。このため、重信川の瀬筋が変わり、滝ノ下泉は埋没し、滝ノ下井手も失った。 続きを読む

文政5年の洪水

文政5年(1822)6月、内川で大洪水があり、井手框が流損し、堰構築の資材が流失した。 続きを読む

文政5年の洪水

文政5年(1822)6月、内川で大洪水があり、井手框が流損し、堰構築の資材が流失した。 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)6月、大干ばつにより植え付け不能。享保以来の凶作11,600石。 続きを読む

文政9年の水害

文政9年(1826)5月の水害について、志津川の米田屋の旧記「旧覚用筆誌-文政七申歳武智幸脩」は次のように記している。「5月20日夜より降り出した雨は、21日の夜になって大雨となり、22日には大川筋村々に水害を生じた。田地は大痛みになり、山村では大潰え抜けがあ... 続きを読む

文政9年の水害

文政9年(1826)5月の水害について、志津川の米田屋の旧記「旧覚用筆誌-文政七申歳武智幸脩」は次のように記している。「5月20日夜より降り出した雨は、21日の夜になって大雨となり、22日には大川筋村々に水害を生じた。田地は大痛みになり、山村では大潰え抜けがあ... 続きを読む

天保元年の風雨

天保元年(1830)、大風雨。天保4年まで毎年続く。 続きを読む

文政13年の水論

文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む

文政13年の水論

文政13年(1830)6月、日照りが続き重信川の流水が不足したため、滝ノ下井手をめぐって下林と北三か村(田窪、牛淵、南野田)の水論が発生した。6月20日夕方には、下林の百姓残らず観音堂に集結し、上村、津吉からも各々60人が加勢した。一方、北三か村も関表に多数集... 続きを読む

天保3年の干ばつ

天保3年(1832)8月、雨なく不作。米価高騰。(「近藤林内日記」、「学校日誌」による) 続きを読む

1 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 36