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条件:愛媛県 松山市

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寛永2年の地震

寛永2年(1625)3月18日、地震で道後温泉の湧出とまる。(「予陽郡郷俚諺集」による) 続きを読む

寛永2年の地震

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寛永2年(1625)3月18日、地震により泉脈が塞がったため、松山城主蒲生忠知が命じて湯神社に祈祷したところ、後に旧の如く湧出した。(「伊予温故録(温泉伝記)」による) 続きを読む

寛永2年の地震

寛永2年(1625)3月18日、大地震で道後温泉の湧出とまる。 続きを読む

寛永2年3月の地震

寛永2年(1625)3月18日、地震により、温泉没して出でず。(「俚諺集」による) 続きを読む

寛永2年2月の地震

寛永2年(1625)2月5日、地震により、城の石垣20間、塀30間余崩れる。(「松山叢談」による) 続きを読む

寛永2年の地震

寛永2年(1625)、地震のため、道後温泉の湯が止まった。 続きを読む

元和6年の洪水

元和6年(1620)8月、大洪水の時、藩の奉行は石手川の北岸が危険と見て、川南の樽味村得能寺付近の堤防を切ったため、小坂、中村、橘村、朝生田、市坪等に濁流が流れ、田地は免租地となった。 続きを読む

元和6年の洪水

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元和6年(1620)6月、洪水により、市の坪が全部浸水した。石手川のつけかえ直後は市の坪に被害が集中した。市の坪の郷士安長九郎左衛門は財産を投げ出し、自力で堤防を修築した。さらに、延宝6年(1678)には、藩の援助を受け、堤防の復旧工事を行った。この時の堤防が... 続きを読む

元和6年の洪水

元和6年(1620)、大洪水により、市坪村は永川となった。(「余土村誌」による) 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大地震により、山崩れて泉脈が塞がれた。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)/地震あり、湯出ず、その後月を越えてまた出始めた。(「松山叢談」による)/伊予国地震い、道後温泉一時湧出を止んだ。(「大日本地震史料」による) (註)... 続きを読む

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