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条件:愛媛県 砥部町
明和8年(1771)、大干ばつのため、徳丸村・出作村(松山領)・南神崎村・上野村(天領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村が古樋井手の筧を切り落としたため、上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と間で乱闘が起こった。この矢取川の乱闘で死者2人と多数の負傷者が出... 続きを読む
明和8年(1771)、大干ばつの時、麻生村の市の井手で外5ヶ村と水論に及び、即死2人、負傷者多し。(「伊予温故録」による)/明和8年、大いに旱して、田畑作枯れ。(「大洲旧記」による)大いに旱す。(「日本気象史料(東宇和郡沿革史)」による) 続きを読む
明和8年(1771)、大干ばつのため、松山藩預所の徳丸村・出作村、大洲領八倉村・宮ノ下村・上野村の5ヶ村は、重信川よりの取水をめぐって、上手の麻生村と大水論を起こした。矢取川の河原での乱闘で2人の死者が出て、事件の責任を負った下麻生村の窪田兵衛門が死罪となった... 続きを読む
明和8年(1771)6月8日、南神崎・徳丸・出作・宮之下・八倉の下5ヶ村の農民700人余が古樋井手の筧を引き落としたため、上・下麻生村勢200余名との間で乱闘になった。この矢取川の乱闘で下5ヶ村側に死者2人と多数の負傷者が出た。天領が含まれていたため、関係者が... 続きを読む