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448件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 西予市

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明治3年の台風

明治3年(1870)10月1日、暴風雨により、吉田領内で落雷157箇所。(「明浜こぼれ話」、「愛媛県史」、「東宇和郡沿革史」等による) 続きを読む

明治3年10月1日の風雨

明治3年(1870)10月1日、暴風雨、被害多し。溺死8人。吉田藩内の落雷157箇所。(「愛媛県史」による) 続きを読む

慶応3年の水論

慶応3年(1867)、宇和郡大江村と真土村で水論。(「伊豫史談」282号による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日辰の中刻、松山市高浜沖を震源とするM6.4の地震が発生した。この地震により、今治城の石垣が孕み、塀が倒れ、その他ところどころ破損した。また、郷町の潰家3戸、半潰8戸、死者1人で、松山でも被害があったらしい。大洲城内でもところどころ... 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日、地震う。 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、大地震により、家屋倒壊などの被害があった。海岸では津波が襲来し、浸水、流失する民家が続出した。その後1ヶ月間、余震が続いた。この年11月27日に安政と改元されたが、「安政とかえても地震ゆり止まず、いっそゆるなら嘉永でもよし」の狂... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日夕七ツ半時より地大に震う。家屋が倒壊し、多くの人は竹林中に避難す。暮六ツ時に至りて、津波が襲来して家屋を浸潤する処あり。 7日四ツ半また大に震う。その後12月2日まで震動止まず。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日申の中刻、紀伊水道南方でM8.4の巨大地震が発生し、津波を引き起こした。西宇和郡の被害については記録がないが、「愛媛県管内津波被害調書」によれば、津波が到達した高さは、三瓶町及び川之石町では平均潮位より3.5m、伊方村では4.0m... 続きを読む

安政元年の東海地震

安政元年(1854)11月4日、浜松南方洋上の南海トラフでM8.4の東南海地震が発生し、津波が房総から土佐の沿岸を襲った。震央、波源域の位置から、三瓶町では震害、浪害もほとんどなかったのではないかと考えられる。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、地震により、宇和島藩、吉田藩ともに、各地で津波が発生して大惨事となった。明浜町でも、家屋の倒壊や死傷者が発生した。この時の犠牲者の霊を弔うために、里人たちが俵津の山の庵寺に、お地蔵様を奉納した。(「明浜町誌」による) 続きを読む

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