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166件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 西条市(丹原町)

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大正7年の洪水

大正7年(1918)、鞍瀬川が2度にわたり出水し、明河小学校の校舎が3尺浸水し、大きく傾斜した。(「田野村誌」等による) 続きを読む

大正7年の台風

大正7年(1918)7月10日ほか2回の暴風雨により、中山川、関屋川、高松川で出水し、決壊被害が大であった。田約2町5反、畑1町2反荒廃し、免租地とした。(「田野村誌」等による) 続きを読む

大正7年7月の台風

大正7年(1918)7月10日、暴風雨により、中山川、関屋川、高松川の出水、決壊被害大。仮砂防工事のため支出多額、田約2町5反、畑1町2反降灰、免租地とする。(西条市自然災害年表による) 続きを読む

大正7年9月の洪水

大正7年(1918)9月14日、石経関の土手約75間が決壊した。土砂埋没の畑約2町歩、浸水家屋13戸。(「田野村誌」等による) 続きを読む

大正7年9月の洪水

大正7年(1918)9月24日、石経関の土手約75間破壊、土砂埋没の畑約2町歩、浸水家屋13戸、危機迫り警備、鞍瀬川2度の出水、明河小学校の校舎3尺、大河と化した。校舎大きく傾斜した。(西条市自然災害年表による) 続きを読む

大正8年の洪水

大正8年(1919)、洪水により郡道大頭線の東西横ガイキの水刎が決壊し、畑5反歩が流失し、堤防内に水があふれ、耕地や人家が危険に瀕した。(「田野村誌」等による) 続きを読む

大正8年の洪水

大正8年(1919)、洪水により、郡道大頭線の東西横ガイキ水刎決壊、その西部に接続する畑5反歩流失。余勢は堤防内に溢れ、耕地、人家が危機に瀕した。桜樹青年団が桜三里に植樹してその復興を計った。(西条市自然災害年表による) 続きを読む

大正10年の洪水

大正10年(1921)、横ガイキの水刎が流失し、畑約3反歩が埋没した。(「田野村誌」等による) 続きを読む

大正10年の洪水

大正10年(1921)、洪水により、郡道大頭線東西横ガイキが流失、畑約3反歩埋没。(西条市自然災害年表による) 続きを読む

大正13年の干ばつ

大正13年(1924)、旱害が甚大で、田野村では7月10日で植え付けが済んでいない田が3町2反あった。(「田野村誌」等による) 続きを読む

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