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32件のアーカイブスが見つかりました。

条件:香川県 まんのう町(満濃町)

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安政元年6月の地震

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安政元年(1854)6月14日、地震。7月9日、満濃池堤決壊、田畝を多く損なう。(「増補高松藩記」による) 続きを読む

安政元年6月の地震

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安政元年(1854)6月14日の地震により、7月9日に満濃池が決壊、被害田甚大。 続きを読む

安政元年6月の地震

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安政元年(1854)6月14日、讃岐地方に強震があった。この地震で堤防の地盤が緩んだのか、石樋の仕替え普請がずさんであったのか、7月5日午後2時頃、樋外の石垣から水が漏れているのを池守が発見した。翌日から水漏れを防ぐための対策を講じられ、9日には高松・丸亀両藩... 続きを読む

嘉永7年の大雨

嘉永7年(1854)7月9日、大雨。満濃池の堤防が決壊し、多くの田畑流失。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

嘉永7年7月の大雨

嘉永7年(1854)7月9日、大雨、満濃池の堤防決壊。(「庄屋記録」、「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

明治15年の水論

明治15年(1882)8月10日、炭所西片岡の土器川に築かれた薬師堰からの分水をめぐり、長尾側と岡田側の間に紛争が起こった。これは、薬師堰の分水後の水量が少ないことを理由に、長尾側が分水口に石を積んで、分水位をおもじょ岩の基準線よりも高くしたため、岡田側から多... 続きを読む

明治15年の干ばつ

明治15年(1882)8月23日、うち続く干天のため、水の困窮した綾歌町岡田地区と満濃町長尾地区の百姓が衝突した。両地区に分水する薬師堰には、「おじょも岩」の分水慣行(おじょも岩側面の刻線の高さと堰の水面の高さが水平になるように分水する慣行)があるが、長尾側が... 続きを読む

明治27年の干ばつ

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明治27年(1894)、干ばつのため、135日間降雨が皆無であった。この後も数回干ばつの被害を受け、満濃池では堤防を3尺嵩上げするための工事が明治38年(1905)から翌明治39年1月にかけて行われた。 続きを読む

大正3年の水論

大正3年(1914)8月、炭所西片岡の土器川に築かれた薬師堰からの分水をめぐり、長尾側と岡田側の間に紛争が起こった。長尾側は薬師出水の暗渠の出口から水門の入口近くまで大石を並べて仮堰を作り、出水の水を長尾側に取り入れようとした。岡田側は、出水の増水分は亀越池の... 続きを読む

大正13年の干ばつ

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大正13年(1924)、干ばつのため、満濃池の水掛かりは1,120町歩が被害を受け、減収高は11,322石に達した。この干ばつを契機に、満濃池水利組合は満濃池の嵩上げ等の計画を立て、昭和3年(1928)から昭和5年にかけて第二次嵩上げ工事を実施した。 続きを読む

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