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257件のアーカイブスが見つかりました。

条件:香川県 内海町

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慶応2年の干ばつ

慶応2年(1866)、干ばつと米価暴騰のため島中が困惑した。 続きを読む

万延元年~文久元年の干ばつ

万延元年(1860)~文久元年(1861)の干ばつにより、特に小豆島東部で生活困窮者が続出した。内海地区の各村では住民8,734人の41%にあたる3,584人が、また福田・吉田の両村では住民1,082人の30%にあたる323人が、成人男子1人当たり1日4合、老... 続きを読む

万延元年の長雨

万延元年(1860)、小豆島で長雨により、草加部村、大部村、福田村では作物成育せず。 続きを読む

安政4年の風雨

安政4年(1857)、小豆島で大風雨。坂手村で松527本破損、農作物凶作のため年貢減額願い出。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、島でも4日間震動がつづき、竹藪などに避難後、屋を建てて過ごしたほどであった。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、大きな揺れが4日間も続く大地震があり、人々は建物の倒壊や地割れを恐れ、戸外に並べた畳の上や竹藪の中で寝泊まりしたと伝わっている。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)、連続4日間にわたる地震が起こり、多数の住民が竹やぶ等に小屋を建てて避難した。 続きを読む

嘉永6年の干ばつ

嘉永6年(1853)6月から9月にかけて大干ばつ。丑年の干ばつと呼んでいる。 続きを読む

弘化4年の台風

弘化4年(1847)、暴風雨で上村、下村の被害が最大であった。 続きを読む

天保7年の長雨

天保7年(1836)4月から8月まで雨天続きで田方は大損耗をした。伊予松山藩の預かり地であった草加部・福田・大部3ヶ村は、12月同藩に対して、年貢全部を石代納にし、しかもその銀納値段の減額を願い出た。しかし、銀納値段の減額は許されたが、年貢全部の銀納は聞き届け... 続きを読む

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