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115件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 四万十市(中村市) 火災

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大正7年の大火

大正7年(1918)5月20日午後5時過ぎ、南京町から出火し、西風のため近隣の10数戸に延焼した。さらに新町にも飛び火して一面の火の海となった。東西約3町、南北約2町を灰燼に帰して午後8時鎮火した。焼失家屋約80戸、世帯数は150戸にも達した。 続きを読む

明治40年9月の火災

明治40年(1907)9月(旧8月30日)夜、本町東南角の裏から出火、雨上がりの西風のため東に延焼し南側に移り、中ノ丁西側の一部を焼いて鎮火した。類焼約15戸。 続きを読む

明治40年9月の台風9月の火災

明治40年(1907)9月(旧8月30日)夜、本町東南角の裏から出火、雨上がりの西風のため東に延焼し南側に移り、中ノ丁西側の一部を焼いて鎮火した。類焼約15戸に及んだ。(「百笑宮崎」による) 続きを読む

明治40年9月の火災

明治40年(1907)9月夜、本町東南角の裏から出火し、雨上がりの西風で東に延焼し、類焼約15戸。 続きを読む

明治40年6月の火災

明治40年(1907)6月3日夜、西下町西部の南側から出火し、東は山際から袋町に通ずる横丁まで、西は築地坂までの両側20余戸を全焼した。(「百笑宮崎」による) 続きを読む

明治40年6月の火災

明治40年(1907)6月3日夜、西下町南側西方から出火し、東は山手通から袋町へ通ずる横町まで、西は築地、堤防までの両側、大商店のみ20余戸全焼。 続きを読む

明治40年6月の火災

明治40年(1907)6月3日夜、西下町西部の南側から出火し、東は山際から袋町に通ずる横丁まで、西は築地坂までの両側20余戸を全焼した。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海地震が起こった。火災により中ノ丁のほとんど全部と本町、上町、京町、新町の一部で89戸が被害を受けた。「中村魚市場記録」によると、5日七ツ時(午後4時)大地震が起こり、津波が到来し、家屋は倒壊し、焼失は数軒、負傷者は40~50... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海道沖大震。夕七ツ時、大地震津浪、中村町家九歩通潰込の上焼失。(中村の「伊与田記録」による)/七ツ時大地震仕候、其夜大ゆり小ゆり共、又三日目大ゆり。(「中村魚市場記録」による)/焼失98軒、潰家144軒、半潰家66軒。(中村目... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日にわたり大地震が起こった。県内一帯で大きな被害を受け、死者277人、焼失家屋2,056戸、倒壊家屋2,351戸と言われている。伊与田文書によると、中村の町は九分通り倒れ、その上焼失したとされている。また、中村目代文書によると... 続きを読む

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