検索結果

77件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 土佐清水市 風水害

年代順で並び替える : |

大正9年の洪水

image

大正9年(1920)8月15日、大雨により、下の加江川流域は一面の泥海となり、田畑はほとんど砂礫の原と化した。特に永野堰より小方堰に至る堤防が50余間決壊したため、60余町歩が荒れ地となった。また、市野々地区では30余町歩が砂礫の原となり、全戸が浸水し、このう... 続きを読む

大正9年の洪水

image

大正9年(1920)8月15日、大雨のため、下の加江川流域は一面の泥海となり、田畑はほとんど砂れきの原と化した。とりわけ永野堰から小方堰にいたる堤防が50余間決壊したため、60余町歩が一夜にして荒野原となった。市野々地区では30余町歩が砂れきのはらとなり、全戸... 続きを読む

大正9年の洪水

大正9年(1920)、三崎川洪水。三崎川は、今ノ山の南面斧積谷からの流れと西の十八川の流れを行者山のすそに併せて三崎浜に注いでいたが、この洪水を契機として河川の変更が計画され、昭和11年に千尋崎西側の竜串側に付け替えられた。(写真集土佐清水写真6枚) 続きを読む

大正3年の台風

大正3年(1914)9月14日、台風により、幡多郡では家屋の全壊1,152戸、半壊821戸、中村で死者3人、負傷者3人、宿毛漁船遭難により死者11人、行方不明15人。伊豆徳島村では家屋の全倒103戸、半倒18戸、大破72戸。(「溝渕素江手記」による) 続きを読む

大正3年の台風

大正3年(1914)9月、台風により、倒壊13戸、半壊18戸、大破72戸。 続きを読む

明治44年の台風

明治44年(1911)8月15日、台風が奄美大島付近を北上し、九州南岸に上陸後、北東に転向して宇和島付近を通過した。山地での日雨量は400ミリを超し、県西部の被害が甚大であった。伊豆田村では、倒家6戸、田畑被害甚大、稲穂枯死。(「溝渕素江手記」による) 続きを読む

明治42年の台風

明治42年(1909)8月6日6時、台風が宮崎の北方に上陸した。前日快晴の天気に恵まれて多くの漁船が出漁したが、台風による天気急変で多くの漁民が遭難し、死者111人に及んだ。 続きを読む

明治42年の台風

明治42年(1909)8月6日、台風による風と激浪のため、幡多一帯で出漁船の多くが遭難し、100余人の命を失う遭難史上空前の大惨事となった。 続きを読む

明治42年の台風

明治42年(1909)8月6日6時、台風が土佐沖を通り宮崎北方に上陸した。天気が急変したため漁民の遭難が多かった。下川口村誌には「漁民大難100人余、(略)6日7時頃より再び猛しく南東に変わり午後止む。出漁の19隻中5隻のみ帰る」と記されている。 続きを読む

明治42年の暴風

明治42年(1909)8月1日から2日にかけて暴風となったが、家屋や農作物に被害を与えることはなかった。その後、多少の波浪が続き、8月5日に幡南一帯の漁船が遭難して100余人が亡くなった。 続きを読む

1 2 3 4 5 6 7 8