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72件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 高知市 火災

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宝永元年11月の火災

宝永元年(1704)11月14日、小高坂から出火して郭中・上町の家屋約600軒が焼失した。 続きを読む

宝永2年の火災

宝永2年(1705)11月14日、火災。弘列筆記には「子の刻、小高坂越前町より出火、南川原まで焼抜き築屋敷、片輪町一丁目、北奉公人町、本町、水通町、通町、南奉公人町、尚御郭へ火移り金子橋筋、本町、横町、中島町、上南川原堤限まで火、寅刻(4時)焼落ちる。」と記さ... 続きを読む

宝永5年の火災

宝永5年(1708)11月28日子の刻、浦戸町より出火五十数軒焼く。(「弘列筆記」による) 続きを読む

正徳5年の火災

正徳5年(1715)1月4日、南奉公人町から出火し、家屋500余軒が焼失した。 続きを読む

正徳5年の火災

正徳5年(1715)12月3日、火災。南路志には「3日、御小人町大火三百五六十軒焼ける。火元南奉公人町二丁目。通町3、東川筋、水通2、東川端焼ける。8日高岡、一宮も残らず焼ける。夜中より百余焼く。」と記されている。 続きを読む

享保6年の火災

享保6年(1721)12月29日、城下通町火事。(「高知県歴史年表」による)享保雑記には「470軒」と記されている。 続きを読む

享保12年の大火

享保12年(1727)2月1日午の下刻(午後1時)、小高坂越前町から出火し、また翌日にも再び同町から出火し、両度の火災による焼失家屋は3,500戸に及び、城下町は焼け野原と化した。この火事で高知城も、角矢倉、南ノ角矢倉を残して焼失した。藩は2日の晩から15日に... 続きを読む

享保12年の大火

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享保12年(1727)2月朔日昼九ツ時、越前町より出火し、御本丸、二の丸、三の丸にまで延焼した。また、翌2日にも越前町より出火し、町家や郷分に延焼した。焼失家屋は4,102軒で、このうち392軒は御侍中、3,110軒は町家、600軒は郷分の潮江・江ノ口・小高坂... 続きを読む

享保12年の火災

享保12年(1727)2月1日、越前町から出火して城内に延焼し、翌日また越前町から出火して、両度の大火で焼失家屋は3,000戸を超えた。 続きを読む

享保12年の火災

享保12年(1727)2月1日午の下刻(午後1時)、越前町から出火し、西南の烈風にあおられ、火は数條に分かれて東方に延び、高知城では三の丸、二の丸、本丸など延焼した。焼失戸数は侍屋敷205戸、町方1,163戸、郷分397戸であった。また、翌2日未の下刻(午後3... 続きを読む

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