検索結果

346件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 高知市

年代順で並び替える : |

安政4年の洪水

安政4年(1857)7月29日、堤が切れて、下町は大洪水となった。 続きを読む

安政4年の風水害

安政4年(1857)7月29日、風水害、高潮。/三つ頭御番所より東稲荷宮までの並松、この風雨に倒れ木多く今40本計り存在す。(「三災録」による)/七つ頃(5時)より暮合まで大風雨、波荒汐甚だ高し。文化12年(1815)7月6日の亥の大変以来の大汐なり。(「大変... 続きを読む

万延元年の水害

万延元年(1860)4月19日、大雨により、上町が浸水。真覚寺日記には「夜に入り大雨ますます激しくわずかの間に街市川をなす深きこと1尺余、川を渡るが如く下駄にて水を蹴立て戻る」と記されている。 続きを読む

文久元年の大雨

文久元年(1861)2月末、大雨のため、雁切橋(紅葉橋)が流失した。 続きを読む

文久2年の水害

文久2年(1862)閏8月5日、大雨により、上町が浸水。真覚寺日記には「大雨九つ前より帰足町々川の如し」と記されている。 続きを読む

文久2年の洪水

文久2年(1862)8月11日、大洪水のため、雁切橋(紅葉橋)が流失した。 続きを読む

元治元年の水害

元治元年(1864)3月19日、大雨により、上町が浸水。真覚寺日記には「益々大雨、町中川の如くにして歩行でき難し」と記されている。 続きを読む

慶応2年の洪水

慶応2年(1866)8月15日、鏡川の雁切橋付近の堤防が大破して田畑に浸入した洪水と、五丁目南の霞堤から浸入した洪水が思案橋から北に流れ、井口・小高坂の家屋は深く浸水した。江の口もかなりの浸水家屋があった模様である。 続きを読む

慶応3年の水害

慶応3年(1867)6月19日、大雨により、上町が浸水。真覚寺日記には「雨は篠を乱せる如し、市中水深くして往来する者一人もなし」と記されている。 続きを読む

明治11年の洪水

明治11年(1878)、洪水で被害大、地租軽減を嘆願した。(「大津村史」による) 続きを読む

1 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 35