検索結果

8件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 北島町 風水害

年代順で並び替える : |

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月23日、洪水により、北島村では旧吉野川・今切川の堤防が各所で寸断された。最低地部の老門・太郎八須地区では、川から潮水が流入するのを防ぐため応急の仮止工事が行われ、本格的な復旧工事は大正2年(1913)から県費補助(6割)を受けて着工され... 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月21日~22日に徳島県南岸から阪神に上陸した台風により、徳島では21日昼から翌日早朝までに600ミリを超える雨量のところもあり、沿岸部では高潮の被害があった。県内の死者81人、床下・床上浸水43,067棟、板野郡では27人が亡くなった。... 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月21日の洪水は、明治35年(1902)の洪水よりも約1尺ないし1尺4、5寸水嵩が高かった。大正元年の大水に関する15人の村人の記録が記されている。水害時の様子や水が引くまでの人々の暮らしなどが描かれている。 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)、洪水。北島町には洪水痕跡が多く残っている。 続きを読む

明治35年の洪水

明治35年(1902)、寅年の大水が発生した。この年の大水は嘉永2年の洪水よりも約1尺水嵩が高かった。鯛浜村だけで溺死者が17、18人という。 続きを読む

慶応2年の洪水

image

慶応2年(1866)8月7日、未曾有の洪水により破堤し、鯛浜付近で損田15町歩、秋作田畑皆無、転家流失家屋数十戸、流死数十人の被害が出た。(「板野郡誌」による) 続きを読む

嘉永2年の阿呆水

嘉永2年(1849)、酉年に阿呆水と呼ぶ洪水が発生した。 続きを読む

寛政4年の洪水

寛政4年(1792)7月26日、吉野川の洪水で田畑が川成となり、いずれの神社も祭礼ができないという記録がある。また、鯛浜村付近の古老談として「堤防数ヶ所破損し、大豆皆無同様、稲五分位損耗」とある。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む