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5件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 徳島市 渇水

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大正2年の干ばつ

大正2年(1913)6月上旬に小雨が降って以来、空梅雨となり、8月31日の降雨までおよそ70数日雨が降らず、収穫皆無となった。その中でも、農民の生産意欲は日照りとともに強まり、応急の用水池・新堀浚渫は各地で行われるとともに、機械揚水設備の導入が見られた。 続きを読む

大正2年の干ばつ

大正2年(1913)6月上旬から空梅雨となり、南井上村では7月7日までに全村の田植えを完了したが、8月31日に雨が降るまでおよそ70数日、稲田には灌水ができず、収穫皆無とならざるを得なかった。 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む

天保8年の干ばつ

天保8年(1837)夏、干ばつ打ち続くこと甚だしく、田圃に濯ぐ水に窮し、土瓶に井戸水を入れて稲の根元に給せりと、ために作物尽く枯死し、収穫皆無の状態となり、本村民の多くはオボツコを食し、鈴江渡付近の砂子に薄貝を漁り、かろうじて飢餓を免れたりという。(「川内村史... 続きを読む