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25件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 大三島 風水害

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宝永4年の風雨

宝永4年(1707)、大風雨で農作物の作柄に損害があったため、御公儀(松山藩)から、上島中(越智島17ヶ村)が米500俵、麦500俵の借り米をしている。 続きを読む

宝永4年の風雨

宝永4年(1707)10月4日、この辺り一帯に大地震があった上に、大風雨があり、稲作に大害を与え、米の収穫がなくなったので、藩から御助米をもらった。 続きを読む

正徳2年の風雨

正徳2年(1712)、大風雨で越智島の作柄に損害があったため、郡奉行らが来島し、見分の上、岡村・大下村ほか大三島の9ヶ村に対し、米762俵余を給付している。(越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保2年の洪水

享保2年(1717)5月、大雨のため、洪水により島内各村の川がほとんど決壊した。各村では川成を仰せつけられて復旧した。 続きを読む

享保2年の洪水

享保2年(1717)5月2日、大雨洪水により生名村、岩城村、井ノ口村、盛村、肥海村、宮浦村の田畑が荒れ、御公儀(松山藩)役人の見分を受けている。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保7年の洪水

享保7年(1722)、洪水のため三嶋大明神神馬境内の木々が枯れ、人夫を雇って水抜き、小川・井手の堀方工事をした。この時、延べ人夫622人に対し、1人当たり夫食米7合5勺が御公儀(松山藩)から給付されている。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保7年の洪水

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享保7年(1722)、大洪水のため、大山祇神社境内では土砂が流入して諸木が枯死に瀕したので、水抜き小川や井戸を掘って排水した。一般の川では瀬掘りという河床掘りの作業が行われた。 続きを読む

享保14年の干ばつ・台風

享保14年(1729)、日照りと8月、9月の二度の大風のため、農作物などに大きな被害が出た。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保14年の干ばつ・強風

享保14年(1729)8月、干ばつと強風が同時に襲ったため、保水力のない島内の農作物は枯死した。 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)5月19日~21日の大雨で、台村本川が破損し、本田、新田が数町にわたって水損を受け、切口付近の人家2軒、塩浜、建物などが押し流された。(「文政九年御用日記」による) なお、この年は雨が降らないため、藩命により大山祇神社に雨乞い祈祷の依頼をし... 続きを読む

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