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54件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 新居浜市 風水害

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寛文9年の洪水

寛文9年(1669)、洪水のため、池田池が決壊した。翌10年に西条藩主松平頼純の命により、和歌山藩から来た加納覚兵衛が改修を行った。 続きを読む

元禄6年の風雨

元禄6年(1693)6月21日、大風雨により、別子銅山で蔵13箇所、鉱夫小屋200余軒が倒壊した。 続きを読む

元禄6年の風雨

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元禄6年(1693)6月21日、大風雨により、別子銅山では蔵13箇所、坑夫小屋200余軒が吹き潰されるという被害を受けた。 続きを読む

元禄8年の風雨

元禄8年(1696)7月21日深夜から早朝にかけて、別子銅山は大風雨に襲われ、死者6人、手手物・道路・橋の倒壊・破損により、2,200余両の被害を出した。 続きを読む

元禄8年の風雨

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元禄8年(1696)7月21日深夜から翌朝にかけて、別子銅山は大風雨に襲われ、死者6人、建物・道・橋の倒壊被損2,200両余という大被害となった。 続きを読む

嘉永元年の風雨

嘉永元年(1848)6月13日、風雨。8月8日、暴風にて沢津海岸潰決す。(「新居郡誌」による) 続きを読む

嘉永元年8月の洪水

嘉永元年(1848)8月8日、暴風により、高津村沢津沖の二重堤120間大破。(「新居郡誌」による) 続きを読む

明治4年の洪水

明治4年(1871)5月18日、国領川氾濫す。(「新居郡誌」による) 続きを読む

明治24年の洪水

明治24年(1891)8月16日、国領川氾濫、被害多し。(「新居郡誌」による) 続きを読む

明治32年の水害

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明治32年(1899)の別子銅山の大水害に際して、医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得た。(「新居浜史談」による)明... 続きを読む

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