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18件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 松前町

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享保17年の長雨

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享保17年(1732)5月下旬から降り出した雨は、7月上旬まで続き、重信川などが氾濫し、これに6月中旬から稲田に発生したウンカが追い打ちをかけて、飢饉となった。西南諸藩の中で松山藩の被害は特に甚大であり、藩から幕府への報告によると、藩内の餓死者は3,489人で... 続きを読む

延享5年の台風

延享5年(1748)7月、大風三度吹き、家が多く痛み、大雨により北川原の土手が切れ、畑作物が痛む。(「永代日記覚」による) 続きを読む

寛延元年の大雨

寛延元年(1748)7月、大雨により、松前地方洪水。 続きを読む

明和元年の水論

明和元年(1764)、伊予郡下三谷村と南黒田村で水論。(「松前町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

天明3年の洪水

天明3年(1783)8月11日、下高柳村の土手が100間余決壊した。(「松山叢談」による) 続きを読む

天明3年の洪水

天明3年(1783)8月11日、洪水のため、伊予郡下高柳村の重信川の土手が百間余潰れた。 続きを読む

文政9年の洪水

文政9年(1826)4月~6月に伊予国各地で洪水の被害があった。松前では中川原、徳丸、大間で重信川の堤防が切れ、田地に激甚な被害があった。(「永代日記覚」による) 続きを読む

弘化3年の風雨

弘化3年(1846)7月9日及び18日の大風雨により、樹木倒れ、侍邸、民家破損し、死者14人。(「松山叢談」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、大地震があり、障壁を倒し、人々は小屋がけをして難を逃れた。(「郷土誌北伊予村」による) 続きを読む

安政3年の干ばつ

安政3年(1856)、大干ばつのため、上井手の掘り浚えをめぐって徳丸村と森松村の間で紛争が起こったが、代官の取り計らいで和解をみた。 続きを読む

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