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条件:高知県 四万十町(窪川町) 風水害
寛喜3年(1230)夏と秋に寒冷が続き、異常な災害となった。6月になっても雪や霜が降り、作物や穀類は大いに枯死したと、古事録「災害異誌」に残されている。その時の状況はあたかも冬の如しであったという。さらに8月には大風水があり、米の収穫はほとんど皆無になった。 続きを読む
寛文6年(1666)8月4日、風水害により、土佐七郡すべてで田畑流失や家屋被害があった。被害は田畑損失81,300石、死傷者151人に及んだ。特に窪川以西での損害が大きく、中村は渡川の氾濫で水没した。 続きを読む
明治19年(1886)8月20日午後7時頃から東北の風が強くなり、翌21日朝から猛烈な台風となった。正午頃から四万十川の水量は増加し、上流からの竹や木材が根こそぎ流れ、松葉川、西川角、宮内など沿川の田畑は耕土がほとんど流出して荒地となった。風も相当強く、窪川市... 続きを読む
明治23年(1890)の風水害時には、台風が去って日が差してきたため家路に急いだが、1、2時間後に大激流が平地の家屋を押し流した。原因は上流の東津野村で山崩れが起き、川をせき止めていた土砂が一気に流出したためであった。(「窪川町史」による)上流の様子が下流に伝... 続きを読む
明治23年(1890)、台風による集中豪雨のため、窪川町で山崩れ、水害が起こったが、やがて四万十川の水は急に引き始め、陽も差してきたため、人々は家路に急いだ。その1、2時間後に大音響が起こり、水害が平地の家屋を押し流し、不意を突かれた地域に大被害を与えた。原因... 続きを読む
明治23年(1890)9月11日、台風により篠つく豪雨となった。特に四万十川上流の東津野、檮原郷の雨量が多く、沿川では牛馬や住家が流されるなど洪水被害に見舞われた。しかし、夕方、川の水が急に引き始めたため、人々が安心していた時に、再び大音響とともに激流が押し寄... 続きを読む