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20件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 砥部町、松山市

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元禄16年の水論

元禄16年(1703)、伊予郡上・下麻生村と下5ヶ村で水論。(「砥部町誌」、「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

元禄16年の干ばつ

元禄16年(1703)夏、旱天のため、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。7月21日夜、下五ヶ村の農民が、重信川の流水を両麻生村に引... 続きを読む

享保9年の干ばつ

享保9年(1724)、大干ばつに見舞われ、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。双方の間で、重信川の流水を両麻生村に引き入れる古樋井手... 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、大旱して、森松村に新たに関を拵え、八瀬水を取り、麻生村の田作は旱上がり。(「大洲日記」による) 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、大干ばつ、松山領森松村と大洲領麻生村との水論。(大洲領の災害) 続きを読む

宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、干ばつ、松山領森松村と麻生村の水論。 続きを読む

宝暦11年の水争い

宝暦11年(1761)、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村(松山領)・南神崎村・上野村(幕府直轄地)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。この年、南神崎村・上野村の両村が松山領から幕府直下地になっ... 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)、宮ノ下村以下5村、麻生村と水論。(「砥部町誌」、「大洲旧記」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦11年の干ばつ

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下・上野・八倉・徳丸・出作の各村と麻生村との間に水論。(大洲領の災害) 続きを読む

宝暦11年の水論

宝暦11年(1761)夏、干ばつのため、宮下、上野、八倉、徳丸、出作と麻生が水論。 続きを読む

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