検索結果

436件のアーカイブスが見つかりました。

条件: その他(長雨)

年代順で並び替える : |

元文元年の長雨・洪水

元文元年(1736)4月から6月にかけて霖雨。8月16日、洪水。(「讃岐国大日記」、「増補高松藩記」による) 続きを読む

元文元年の洪水

元文元年(1736)4月から6月にかけて、霖雨60日。8月、洪水。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

元文元年の長雨

元文元年(1736)、長雨。藩士の録を減じて急場をしのいだ。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

享保17年の多雨

享保17年(1732)7月、多雨が降り続き、ウンカ大発生し、稲田収穫皆無。 続きを読む

享保17年7月の長雨

享保17年(1732)7月、長雨により収穫見込みなし、飢饉。松山の死者4,780人。(「加茂社記」による) 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)7月、多雨、うんかにより、稲田収穫皆無。享保の大飢饉。(「災害の歴史」、「愛媛社会経済年表」、その他郷土資料による) 続きを読む

享保17年の長雨

image

享保17年(1732)6月、長雨降り続き、各地の稲にうんか発生。この年松山で餓死者およそ3,489人、牛馬3,097匹。(「垂憲録拾遺」による) 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)6月、長雨降り続き、各地の稲にうんかが発生。「垂憲録拾遺」によると、この年の餓死者およそ3,489人、牛馬死3,907疋。9月に義農作兵衛餓死。 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)5月20日頃から、天候が不順となって霖雨が続いた。重信川と石手川をはじめ諸川が増水して、閏5月10日頃に氾濫し、交通が途絶した。雨は7月中旬まで降り続き、稲の中には腐敗するものもあり、やがて枯死しようとする状態になった。このため、領分内で... 続きを読む

享保17年の長雨

享保17年(1732)5月20日頃から7月上旬まで雨が降り続き、7月中旬には稲が枯れくさり、その上虫害が加わって餓死者を出すほどの重大事に立ち至った。 続きを読む

1 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 44