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2155件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

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宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日未時(午後2時頃)、雷鳴のような大音がして大地震が発生し、地は裂け、水が湧き出した。木太の詰田川東大路が6尺余裂け、八栗の五剣山の一峯が崩れ落ちた。また、墓石は悉く倒れ、高松北浜の海岸の家屋も倒壊し、圧死者が多数出た。潰れた家は9... 続きを読む

宝永4年の地震による舞ヶ鼻崩れ

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宝永4年(1707)10月4日の南海地震により、「越知町史」によると、越知町鎌井田の舞ヶ鼻が崩壊し、仁淀川がせき止められて天然ダムが形成された。崩壊地の対岸には角礫状の巨礫を多く含む台地状地形が存在し、河道閉塞地点であることが分かる。河道閉塞を起こした地すべり... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日午前10時頃、大地震が起こった。山々は崩れ、大地は割れ、潮水はあふれ出て、人家は倒壊し、山里の者は崩れた土砂や岩石に打たれ、死傷する者数知れず。午後2時頃より大潮が到来し、人家は悉く流れ、死者はいかだを組んだ有様であった。大潮は翌... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月、大地震により、五剣山の一峯が崩壊した。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

宝永5年の洪水・山崩れ

宝永5年(1708)6月、土佐で洪水、安芸郡、長岡郡で山崩れあり。/史料掲載:「南路志」、「神社明細帳」 続きを読む

宝永6年の洪水・山崩れ

宝永6年(1709)7月7日、幡多郡に洪水、山崩れあり。/史料掲載:「神社明細帳」 続きを読む

宝永7年の洪水

宝永7年(1710)8月23日、大風雨。堤防が各地で決壊し、死者多数。五穀実らず。(「香川県政史年表」、「香川用水史」、白鳥町広報・資料による) 続きを読む

享保6年の台風

享保6年(1721)7月15日、暴風雨と高潮により、伊予郡の被害が最も多し。松山藩内の被害は、堤防(海岸、川、池含めて)117,141間、田畑の流失・埋没3,716町、死者72人、家屋889戸、倒木429本、山崩れ29,320箇所。(「松山叢談」による) 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)閏7月6日、洪水19尺5寸、15日溢水29尺5寸。(「加藤家譜」による)/秋季2回の洪水にて不作。(「新居郡誌」による)/7月、洪水、田畑1万5千余石を損毛す。(「宇和島吉田両藩誌」による)/閏7月6日、洪水損毛多し。(「東宇和沿革史」によ... 続きを読む

享保6年の大雨

享保6年(1721)閏7月14日頃から大雨となり、翌15日には出水のため石手川の堤防が決壊し、各地は洪水となった。被害は田畑の砂入・汐入・水押3,716町余、石高35,065石余損毛、浜手・池川の堤防決壊117,141間、流家・潰家・半潰889間、死者男40人... 続きを読む

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