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安政元年(1854)11月5日~14日の10日間にわたる大地震により、瓦は落ち、家は倒れ、土地の亀裂は1m以上に及ぶものもあり、ため池の水は溢れ、山上の岩石は転落して、さらに対岸にはね上がった。川の水は奔流したり、逆流したりして、人々は火を消し、戸を開けて、眠... 続きを読む
慶安2年(1649)2月5日、伊予灘を震源とするM7.1の地震が発生した。三瓶町の震度は6程度で、当町の地震としては最大規模のものであったと推定されている。「寛明日記」によると、松山城では石垣20間、塀30年余が崩れ、宇和島城では石垣116間、長塀780間が破... 続きを読む
寛文2年(1662)9月20日子刻、日向灘を震源とするM7.6程度の地震が発生し、日向沿岸に被害をもたらした。古記録ではいわゆる日南海岸を中心に被害が多く著されており、三瓶町の被害は不詳。 続きを読む
貞享2年(1685)12月10日、安芸灘を震源とするM7.0の地震が発生し、安芸で潰家が多く、伊予でも被害が続出した。道後温泉は泥湯を出し、大洲地方の揺れは甚だしかった。三瓶町でも震度5以上の揺れがあり、家屋、施設などに被害があったであろうと推定される。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、潮岬南方を震源とするM8.4の地震が発生し、それに伴い津波も発生した。愛媛県内の記録は極めて少ないが、宇和島の「伊達図書館蔵古書書抜」によると、御城内は所々破損し、田503町余、高7,273石、家等が破損・流失し、死人8人、半死... 続きを読む
寛延2年(1749)4月10日巳の下刻、瀬戸町三机周辺部を震源とするM7.0の地震が発生し、宇和島城が破損し、その他にも被害が多く出た。(「宇和島御記録抜書」による)三瓶町でも家屋などに多少の被害があったと考えられる。 続きを読む
文化9年(1812)3月10日夜6ツ半時、伊予灘東部でM6.9の地震が発生した。「松山史要」によれば、3月10日より15日まで地震が起こり、損害が多かった。三瓶町でも、ある程度の揺れはあったものと思われる。 続きを読む